ある本によると、戦前の職業野球ファンは、特定のチームを応援するというよりも、選手を応援する志向のほうが強かったようだ。今のような派手な応援はない。選手一人ひとりの俊敏で華麗なプレイを楽しんでいたことだろう。当時の写真を見ると、後楽園も甲子園もガランとしている。戦争が激化すると、野球そのものが”敵国の競技”として白い目で見られるようになり、チームは次々に解散し、1944(昭和19)年に公式戦は中断される。しかし、そんな中、45年の正月に関西のチームだけで、甲子園・西宮で非公式の試合をしたというから驚きだ。ファンは寒中、コートを身に纏い、焚き火をしながら観戦したとか…。草創期のプロ野球も根強いファンに支えられていたんだなと感心する。私が子どものころ、たしか「プロ野球選手名鑑」だったと思うが、戦後復興期に誕生したばかりの広島カープが経営の危機的状態を打開するために、ファンから募金を募って人件費に充てた話を読んで強い衝撃を受け、私は「赤ヘル」の帽子をかぶって小学校を登校したこともあった。「赤田やから、赤ヘルか?」とかって、冷やかされもしたが、子どもながらにカープを応援することに誇りを抱いていた。今と違って、スポンサーがなかったこともあるが、市民からの浄財で球団を運営し、危機を乗り越えたのだから、巨人や阪神などとは違い、弱かったとは言え、ファンとチームの間に一体感があったことだろう。あの”樽募金”…草の根のパワーで苦労を乗り越えながら戦ってきた点は、どこかの政党と共通していることでもある。