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空気

最近、周囲からの「風圧」を感じる。4年前の同時期には全くなかった、とげとげしい何かを。当時と今とでは、政治や社会の情勢は違っている。今日の寒気に似た世間の冷たさと対峙し、孤独と不安に耐え苦しみながらの日々を過ごしている人がいっそう増えている。腹の立つことや叫びたいことが山ほどあっても、”いくら叫んでもどうせ届きっこない”もどかしさ、むなしさ、苛立ち…。共産党を支持してくれてきた人たちからも”無力感”が伝わってくることだってある。私はいま、現職ではない。しかし、この4年間に学んだことは豊富にある。その一つは、バッジがなくても、地域を代表する日本共産党の一政治家だということだ。「あんた、落ちとったんか!」「よく写真で見かけます」「先生、期待してるで!」~世間は私が現職かどうかということ以上に、実際に市民のために真面目に動いてくれるのかどうかが評価の基準になっている。当然だと思う。常に、”評価”がついて回る。”評価”には感情も伴ってくる。遠い世間と近い世間とでは尺度が違う。私と近いところの”目と耳”は、どこか斜に構えてる。とげとげしい視線と言葉。12月初旬辺りから空気と風向きが変わり始めた。何かはわかっている。しかしそれが何なのか、どこから来ているのかは、妻にも両親にも同僚にも言えない、誰にも絶対に言えない。”震源地”は私ではない。願望は願望。しっかり足元を見て、現実と向き合う勇気がほしい。私はまっすぐ前に向いて進むだけ…