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被災地に足を運ぶ②

「地震と台風がない街と思って住み着いたひとが多いんですよ」─私たちが訪ね歩いた、いわき市の人たちから、美しくのどかな自然環境に恵まれた街への深い愛着と誇りが伝わってきました。「でも、あれから海の色が濃くなった。波の音が凄くなった。磯が見えなくなってしまった。防波堤が壊されてしまい…海が怖いです」最初に訪れた、いわき市平薄磯地区は、アワビやうにの栽培漁業、かまぼこの生産が盛んなところだったそうです。美空ひばりさんの”みだれ髪”の歌碑と遺影碑が建っていたそうですが…「私の娘は10メートルくらいの高さの津波に飲み込まれました。一階の自宅の柱にしがみついたから引き波にさらわれずにすんだのです。まったく不幸中の幸いでした」120人の住民の命をさらっていった大津波。倒壊した信用組合(写真)でも2人職員が命をさらわれたそうです。「水の力は恐ろしい」─私たちを案内してくれた人たちの語った言葉を思わず、私はノートに書き留めました。かつてマリンスポーツファンからも慕われた太平洋にのぞむ美しき海岸はいまや、白亜の塩屋埼灯台(写真☆)が残るだけ。瓦礫の山と化した薄磯地区に立ち並ぶ民家のほとんどは解体撤去されますが、中には、「解体しないでください」との張り紙をつけた民家跡もありました。若い人が住んでいたかもしれないコテージ風の家でした。「車3台を流されてしまった。いままで固定資産税を払ってきたんだぞ!土地を買い上げてほしい…」人災に対する強い怒りと見通しのもてない生活、やるせない心情を、かまぼこ工場を経営していた60代の男性が吐露する一言一言に、私は返す言葉がありませんでした。

(写真☆;海岸の向こうの山の上に塩屋埼灯台がそびえたっています)