女川町を訪れました。写真は高台にある医療施設から役場付近を見下ろしたときのものです。
まるで終戦直後の焼け野原のよう…。
人が立っているところは駅のプラットホームだった!
電車は奥の山のふもとまで“泳いで行った”とお聞きしました。写真の「女川町生涯教育センター」(いわゆる”原発マネー”で造ったとか…)は、3月11日の地震の日、会議をしていた人たちは、最上階の部屋まで緊急避難し、助かったそうですが、津波が喉の高さまで押し寄せたそうです。
原発事故がなかったことが不思議なくらいの凄まじさを感じました。
林の枝に生活雑貨がたくさん引っ掛かっていました。
民家も公営住宅も強烈な黒い水圧によって破壊され、ここに普通の生活があったことを考えると胸が締め付けられる気がします。