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私と垂水

私は7歳のときに父の転勤で東灘区から垂水区に引っ越してきました。

いわば、“垂水っ子”です。

「須磨の向こうにも神戸市があったのか!」が第一印象でした。

ジェームス山に乙木小学校という学校がありますが、それが私の母校です。

「乙木池」を埋め立てて造った学校です。

プロサッカーの香川真司選手をOBに持ちます。

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私が通っていたのは30年以上前のこと。

当時の保護者だった方々との間で「長男がN先生にお世話になってね。

本当に優しい先生でした」などと、恩師の先生のことがしばしば話題になります。

「これ誰の名前かわかるかな?」と、N先生が赤いチョークで「田」と板書。

「ああ赤田や!」。

クラスがどっと笑いに包まれた情景を今でも憶えています。

こどもや父兄にとっては優しくユーモア溢れる先生でした。

しかし職員室では「共産党の先生」なる理由で、たびたび差別や嫌がらせに遭い、たいへん苦労されたようでした。

N先生は80歳を超えた現在も垂水区で元気に過ごされています。

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ジェームス山は旧外国人居住地など恵まれた景観の写生に訪れに来る人もよく見受け、映画のロケ地にもなったこともあります。

当時はジェームス山から垂水駅までの直通バスが開通していませんでした(徒歩で30分近くかかります)ので、開通したときには、地域で祝賀会が行われたことを記憶しています。

坂道ばかりで、東西のアクセスの弱さを運動しながら克服していったのだと思います。