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「兄は『学徒動員』の犠牲者だったんです」

「戦後65年、忘れられないことがあるんです」。

私の知人で平和遺族会の一員であるOさんが私にノートを見せてくださいました。

昭和20年3月17日の神戸大空襲。

記憶が脳裏に焼きつき、誰かに伝えたいとノートに防空頭巾の女性の絵と地図が。

「女学生だった頃、いまの下沢通の自宅とその周辺が夜中、見る見るうちにごま粒のような焼夷弾の光が炸裂してね。一粒の種のような光が38本に再度炸裂して花火のように広がって…本当に恐ろしかったし、家も全部焼けてしまいました」─。

”戦争反対”なんて絶対にいえない時代。

若い青年はほとんど例外なく強制的に徴兵させられる。

「兄は関大の学生のころ、学徒動員でサイパンに出征し、帰らぬ人になりました」。

「その兄は、『アメリカと戦争するのは、ちょっとちゃうんと違うの?でも日本に生まれたのだから仕方がない…』と、いつもつぶやいていたらしくてね」。

「『お母さん、必ず生きて帰ってくるからね!』と語っていことを戦後、母親から聞きました」。

安倍内閣が集団的自衛権行使を容認する「閣議決定」を下す。

Oさんいわく、「戦争の恐ろしさを知らないのよ!」