2021年──私が今年を漢字一文字で表すとすれば、「激」になります。
両親を亡くしました。
母は昨年秋以降から今年の8月に息を引き取るまで、病魔と命の限り戦い続けてきました。
その母の姿に私は最後まで接することが出来ました。
自身を押し殺し、他人に気兼ねをして、家族を思い続け、我慢と苦痛に耐えながらの母の人生でした。
とてもやさしい人でした。
最後まで日本共産党員であり続けました。
77歳と11か月の生涯、私との54年間…ありがとう、だけが心に残る。
そしてもし、父がいなければ、恐らく日本共産党との出会いはなかったのではないか?…と思います。
不治の病魔と闘いながら入退院を繰り返す妹。
病状が改善されてもいないのに、退院を迫られ、困り果てた時もありました。
総選挙を直前に控え、妻や親せきの助力はとても有難かった。
秋には幸いにも、適切な病院にめぐり合うことが出来て、転院することが出来ました。
入院中の妹へ、良いお年を!
◇ ◇ ◇
総選挙。これまでにない貴重な経験をしました。
市会議員選挙を含めると6回目の候補者活動ということになります。
昨年7月に出馬会見をしてから、投票日までの1年以上の期間。
悪政の強行と政治腐敗を重ねつづける政権与党は国民の怒りと不信感を激化させ、追いつめられ続け、解散のカードをなかなか切れなかった結果として、政治史上めったに体験することのないであろう任期満了後解散という流れで本番の選挙を迎えました。
私は今までほとんどかかわりがなかった須磨区のみなさんとも一緒に活動することが出来て、たいへん刺激になり、勉強にもなりました。
同時に国政選挙の候補者と市議選の候補者とでは、マスコミからのアクセスの違いも感じました。
勝利することは出来ませんでしたが、とても充実感とやりがいを感じ、教訓に満ちた候補者活動を体験できたと改めて思います。
2019年の市議選で落選した直後に後援会へのあいさつなどで、「私は一党員として、原点に立ち戻り地道に頑張ります」と表明しました。
どんな任務に着こうとも、“困っている人にやさしい政治の実現” “地道に一生懸命頑張る”活動に変わりはないです。
来年は、もっとハードな一年になります。
党創立100周年を迎えるメモリアルな1年でもあります。
垂水区から日本共産党の一政治家として引き続き前を向き、活動していきます。