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一生懸命生きた仲間。でも小田和正さんとの話を一度、生で聞いてみたかったな。

8月30日。

昼間の党の会議を終えて、ほっと一呼吸。

ちょっとスマホでフェイスブックを開いてみたら、Zさんが午前中に天国へ旅立たれたことに気づきました。

以前から癌を患っていたことをご本人は明らかにしていました。

「友達」になっている人はみんな知っていたはずだし、健康状態をとても気に掛け、心配していたと思います。

まだ、40代。

これから育ち盛りの子どもさんを残して…。

私はZさんとは一度しかお会いしたことがありません。

しかし、私とZさんとは東京に共通の知人がいました。

私の大学時代の先輩です。

彼女と私の先輩とは東京で山添拓参議院議員のサポーターをしていたようでした。

衆議院選挙公示前の神戸・元町大丸前の演説会終了直後に明るい笑顔で激励の言葉を掛けてくれたことがあり、それがきっかけで、フェイスブックで繋がりました。

2年前の9月下旬のことです。

日本共産党員としての活動経験も持ち、またジェンダー平等社会実現の運動に一石を投じた方でした。

思い立ったらすぐ行動をして日本共産党の躍進、平和と民主主義の運動に励む姿がとても頼もしかったです。

しかし一方でこの短い人生経験の中で、うかがい知れない辛い体験を重ねてきたようでした。

何かの刺激で過去に遭ったことがフラッシュバックされてとても辛い、苦しいと綴った投稿を何度か見たことがあります。

その被害体験がどれだけ人を深いところで傷つけ、その後の人生を引きずるのか。

教えられたような気がします。

Zさんは明るく、元気な才女。

政治や社会について、何が正しいのか、自分の意思と探求心で、日本共産党を発見し、接近し、そしてその生き方を選んできた経験をもつ貴重な存在。

もっと、もっと、もっと生きたかったろうに。

でも、病気と今後のことを悟っていながらも弱音は吐かず、残された人生を入退院し、大きな痛々しい手術をこの1年余りの間に何度も繰り返しながらも、自身に出来ることを力尽きるまで…生きよう!

日本共産党を心から、たとえ現在は、悲しきことに“距離”が出来てしまっても応援はし続けよう。

友人に党の値打ちを語り、入党を心から喜んだ投稿も有りました。

そんな心が晩年の彼女の投稿からたくさん伝わってきました。

日本の代表的なシンガーソングライター・ボーカリストの小田和正さんとの非常に近いつながりが興味深かった(私もファンなので、それを知ったとき本当にサプライズだった)。

…辛い。

残されたご家族のみなさんの気持ちを察するに余りあります。

病床からかな?7月6日で選挙終盤、参議院選挙候補者として神戸から三田へ移動中にメッセンジャーで1度だけ対話をしました。

お互い、党の活動やっているんだから、元気になられて、いつかどこかで偶然接点が出来ればと願ってエールを交換しました。

たぶん、無数の友人から励ましのメッセージを受けつつも、辛かったんじゃないかな。

でも、最期まで前を向いて、強く生きて来た。

いま改めて、検索してもZさんの投稿は出てこない。

もう、フェイスブックをご遺族の方が閉じられたのでしょう。

さようなら、Zさん。

記憶にはしっかりと残しておきたい。

どうか、安らかに。