先日掲載した松尾健さんの遺品の絵画です。
何を伝えたかったのでしょうか。
自身のことを話す前に、他人の話をしっかり聞く人でした。
歴史が好きで、垂水区、神戸の歴史に明るかったです。
出版社が倒産した直後だったと思いますが、「若い頃はアムステルダムに暫く住んで絵を描いていました」(親戚の方からの話に依ると)。他、ベネルクス3国以外に英・独、スペインにも行ったのだったかなあ?
放浪の旅をして、アートを吸収して来たようでした。
「神戸や東京で個展を開いたりしていましたが、震災で家が全壊してから苦労したようです」(親戚)。
私との出会いは、その何年か後。
多聞東小学校で開いた「神戸市政報告会」に、当時、新人候補者だった私の話を聞きに来てくれてからでした。
形式張ったことや没個性をとても嫌っていました。
落葉を見ると作品を作りたそうにしていたような気がしました。
そして、「身近な所で発表出来る会場がほしい」と。
お金があったら、広範な人達に作品を発表出来たと思います。
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2020年頃、「何か困っていることは有りませんか?」
コロナ禍で日本中が動揺した時に、日本共産党新多聞支部の一員として、生活相談所から一緒に電話掛けをしました。
近所の独り暮らしの高齢者を何度も訪ねて世話をし、信頼されていました。
そして、「しんぶん赤旗」の読者を増やしてくれました。
今、配っている私のリーフレットにも協力してくれました(右下の後ろ姿が松尾さんです)。
早朝や夕方の街頭宣伝にも参加を欠かさなかった松尾健同志。
この写真が「最後の活動」になる。
私にとって、頼りがいがある日本共産党員でした。