今年の夏はコロナ禍のため、県外に出ることなく過ごしてきました。
昨年夏のことを書きます。
杉並区立郷土博物館というところを訪れました。
閑静な住宅街にありながらも、なかなか風情のある外観の博物館です。
当博物館を知ったきっかけは、プロ野球。
何気なくインターネットを検索したいたら、上井草球場にまつわる資料を販売していることを知ったからでした。
上井草球場──黎明期のプロ野球(当時は、職業野球と言われていました)の専用球場です。
「東京球場」と呼ばれていたようです。
私は飛びついて杉並まで、盆の休みを利用して足を運びました。
写真が、お目当てにしていた2冊の資料です。
以前に特別展を行った時のものだそうです。
1936(昭和11)年に落成しました。
後楽園球場が完成する前の職業野球のメッカでした。
両翼が100メートル余りあります。
30000人弱を収容できたそうですから、学生野球のメッカである神宮球場に勝るとも劣らない造りだったそうです。
「またメーン・ハウスの2階を休憩室にしてお茶を飲みながら野球を見れるようになっているのも一寸(ちょっと)嬉しい設計である」(1936.8.25付「讀賣」)と当時の新聞が報じています。
(新聞記事は、東京ドーム内にある野球殿堂博物館で入手しました)
この球場を本拠地にしていたのは、東京セネタースというチームでした。
苅田久則選手(監督も兼任)や野口二郎投手はあまりにも有名です。
戦後はプロだけでなく、東京六大学野球や軟式野球の試合にも使用されましたが、次第に野球よりも他のスポーツレクリエーションへの要望が強くなったようです。
プロ野球の最後の試合は1950年8月(4日の東急フライヤーズvs毎日オリオンズ戦、阪急ブレーブスvs大映スターズ戦)でした。
現在は、杉並区立のスポーツセンターになっています。
70年前までプロ野球で使用されていたことについては、”知る人ぞ知る”といった感じ。
貴重な資料に巡り合えてよかったです。
まあ、とにかくコロナ禍が収束したら、野球の観戦に行きたいな!