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私の学生・院生時代

    私は、つつじが丘小学校と垂水東中学校で教育実習を体験しました。

    楽しかった一方で、毎日が緊張の連続でした。

    「授業の準備ってたいへんだなあ」

    「上司の先生には気を遣うなあ」と強く感じたものでした。

    勉強につまづいている子、友達ができなくて寂しそうにしている子など気になっていても、手が届かないこともありえます。

    今、正規教員を大幅に増やして1クラス30以下学級の実現を訴えていますが、これは私の強い実感でもあります。

    その後、大学院に残りました。

    当時の大阪教育大学には、経済学の教員が4人おられて、マルクスの理論や、いわゆる近代経済学も学べたからでした。

    修士論文のテーマは、「EC(現在のEU)の共通農業政策─イギリス農業と牛乳生産調整」。

    時は1990年代初頭。

    新自由主義の流れにイギリス農業はしっかり順応しているなあと思いました。

    当時は、「ソ連が崩壊して社会主義は終焉した」「資本主義万歳」論が支配的だっただけに、大きく時代は変わって来たなと思います。

    中国からの留学生がかなり在籍しており、交流ができました。

    友達の家やゼミ室でウスターソースや醤油をかけて“餃子パーティー”もしました。

    ある時、「赤田さん、あなたは宗教に寛容ですか?」とこわばった表情で尋ねられたことがありました。

    「日本は“ヨーロッパの窓”だと思います!」と力説する方もいました。

    天安門事件の直後、自由権が制限されている中国社会への不満からでした。

    私が演説で話していることの一つは、「覇権主義への従属・屈従外交から抜け出し、自主・自立の平和外交に転換する(「新しい日本をつくる五つの提案」より)です。

    習近平政権は、東シナ海・南シナ海での覇権主義的行動をエスカレートさせ、香港での人権侵害や新疆ウイグル自治区での少数民族の抑圧を強めていますが、菅政権はこの国際法を無視した野蛮な行為に抗議ひとつしません。

    通常国会での外交演説でも、一言も触れませんでした。

    日本共産党は相手がどんな国であれ、覇権主義・人権侵害は許さないという姿勢を確立した政権をつくります。