党は昨年6月に、「個人の尊厳とジェンダー平等のために─差別や分断をなくし、誰もが自分らしく生きられる社会へ」を発表しました。
女性に対する暴力について、性暴力被害者への支援対策の抜本的強化、刑法の性犯罪既定の抜本改正などを求めています。
これらは焦眉の課題です。
私も性暴力被害者からの体験を聞いてきました。
加害者から受けた地獄のような記憶を消し去ることは容易でなく、つらく苦しいその後の人生を背負わされます。
家族の幸せまで奪うことにもなり、加害者の功罪は計り知れないと思います。
杉田水脈衆議院議員による日本軍「慰安婦」問題研究への誹謗中傷、「女性はいくらでもうそをつけますから」なる数々の暴言、それに対して議員辞職もヘイトスピーチへの謝罪や撤回も求めない自民党の対応を絶対に許してはなりません。
私は「市民とジェンダーの核軍縮」(川田忠明著・新日本出版社)を読みました。
日本軍国主義による侵略戦争を含め、世界は武力紛争のもとで、凄惨かつ広範囲な性暴力により、多数の犠牲者を生む歴史を経験してきました。
性暴力は決して偶然発生したものではなく、それ自体が戦争の手段や戦術であり組織的犯罪だということを学びました。
そして、核軍縮、国際平和の進歩・発展に、女性が参加し発言をすることでより良い結果を出してきているという歴史的事実を学びました。
平和にとってジェンダーの観点は欠かせません。
ところで私はある集まりで、「(個人の尊厳やジェンダー平等といった)理念よりも、生活をなんとかしてください」と言われたことがあります。
深刻な不況で生活が追いつめられている様子でした。
またある日の夕方、須磨区で街頭宣伝中に若い男性から、「私は今日の民主主義は女性のおかげだと思います。
ジェンダー平等社会実現のために共産党と赤田さんに期待をしています」と握手を求められたこともありました。
暮らしの向上・平和・自由・民主主義の発展とジェンダー平等の実現は一体不可分です。
①
先月初め、誤嚥性肺炎を併発した母が、区内の病院に搬送された。
過去にもあったので、第一報を介護施設から受けたとき、私はそれほど驚かなかった。
ところが病院救急科の医師から、「きわめて危険な状態まで来ていました」と言われ、初めて動揺した。
その日の夕方、再度救急科から電話があり、「極めて厳しい状態にあるので、ご家族のみなさん、急いで集中治療室へ来てください」と言われた。
凍り付いた。
即座に妻と相談し、妹と3人で病院へ足を運んだ。
言わば、“最後の面会”であった。
母はとても苦しそうだった。
数日後に、医師からなんとか命の危険から回避されたとの連絡は入ったものの、意識はないとのことだった。
酸素不足の影響で他の臓器にも悪い影響が出ている。
要介護5で体力的にもハンデが大きい。
何週間たっても意識は戻らなかった。
脳の機能がどうなっているのかがとても心配だった。
この時点では医師にも誰にも分らなかった。
ある種の覚悟も強いられた。
②
ところが月末になって、病院側からから報告を受けた。
薬の睡眠作用から解放されたのか、なんと意識が戻ってきた!
コロナ禍のため、ICUには簡単に入れてもらえない。
看護師さんから写真と動画で母の様子を教えていただいた。
確かに意識があることを確認することが出来た。
看護師さんからの「赤田さん、息子さんがお見舞いに来たよ!」にかすかに母は反応した。
嬉しかった!
母は生きている!
主治医からは、「90%ダメだと診ていました。一種の奇蹟です」とも言われた。
…喜んだのもつかの間、10月に入る。
担当医から、「今後、食事は難しいでしょう。人工呼吸器を外すことも困難です。熱が下がりません。肺炎を併発しています。はっきり言って体全体がじり貧の状態です」と言われた…
私は母との面会はできたものの、その表情から再度の”覚悟”を迫られた。
③
母が入院してから数日後、妹も別の病院へ緊急入院することになった。
妹は30年以上前から統合失調症に苦しめられている。
ある日の夜、「死にたい」と、酷いパニック状態に陥り、医療保護入院をさせた。
妹は看護師に「うちの母はもう長くないんです」と告げていた。
病状からして外出に危険を伴うが、病院側から特別に許可を頂いて、母の病院へ行くことになった。
妹と妻と私と。
覚悟を決めての最後の面会になるかも知れない。
母の主治医から説明を受けた。
「肺炎が落ち着いてきました」。
私たちは胸をなでおろした。
それから病棟へ上がり、母との短い時間の面会が叶った。
人工呼吸器を付けた母は、“言葉”を発せられない。
口パクで「のどが渇いた。水が欲しい」と言っているようだった。
しかしそれは、私たちにとっては先月救急搬送されて以来、母との初めてのコミュニケーションともいえるものだった。
妹は涙して、「お母さん、ごめんね。お母さんの娘で良かった。私も頑張って生きるからね!」。
母の眼にも涙が浮かぶ。
返事を返そうとするたびに、むせ返してとても苦しそうだった。
会話はできない、口からの食事もできない。
むくんだ手を動かそうと必死で動かそうとしていた。
人工呼吸器を外すことはできない。
しかし、いま母は生きている!
病院側の治療と母の頑張りから強い生命力を感じた!!
“生きる”って素晴らしい。
長期の難病と向き合う妹から初めて聞いた「私も頑張って生きる」。
…母と娘。2人の対面を私は忘れまい。
◇ ◇ ◇
77歳の母。もっともっと生きて行ってほしい。
苦しそうだけれど、頑張って生き抜こうと、闘っている。
生きるって素晴らしい。
小池晃書記局長を迎えての。
本気で野党連合政権を実現するための訴え。
比例候補の小村潤さんは、現職の尼崎市議会議員。
高いハードルを、とても、とても勇気のいること。
自らの体験を踏まえ、聴く人をうなづかせる演説でした。
私も1分間話す時間を与えられましたが、とても緊張しました(^-^;
午前中、地区事務所の周りを辻立ちして回りました。
まあ、”リハーサルとして”ってところでしょうか…
演説会は、オーケストラのようなものだと思います(-_-)
近畿で2から4にして小村さんを国会へ!!
私には私の立ち位置がある。
団結して頑張って、政治を変え、社会を良くする!
そこで団結して頑張る起点になるとても嬉しく、清々しい演説会でした!(^^)!
◇ ◇ ◇
個人的には…高校3年生の時の担任の先生、須磨区の支持者の方々、SNSで知り合った
大学時代の先輩の知人…帰りがけに励まして戴きました(^^♪
◇ ◇ ◇
小池書記局長の演説をどうぞ!(^^)/
私にとっては、演説のスキルも含め、とても勉強になりました(p_-)!!
台風が日本列島を上空して、あいにくの天候の週末。
須磨区では(木)夕方に地下鉄・名谷駅前で「お帰りなさい宣伝」をしました。
10人くらいは参加していたと思います。
(金)夕方の妙法寺駅とともに、長年欠かさず提示の宣伝を地元後援会・党支部の方々が続けています。
いわば、”雨にも負けず、風にも負けず”です(p_-)
対話が少しはずめば、「しんぶん赤旗」日曜版の宣伝紙を手渡しPRすることも(^-^)
昨日は「近畿いっせい宣伝日」。
早朝、名谷駅に行きました。
「本気で新しい政権をつくります。力を貸してください」の訴えに、乗車を急ぐ人たちの中から、進んでチラシを受け取る人も(^-^)v
継続は力です(^^)/
今日は白川落合後援会のみなさんといっしょに“宣伝ラリー”をしました。
宣伝カーと他車2台で須磨区の北部を10か所街頭宣伝し、10月に開催する演説会の案内もしました。
賑やかな目立つ宣伝になったと思いますヽ(^o^)丿
東白川台、東落合、中落合、南落合、名谷駅周辺…
私にとっては初めての演説箇所でした(#^.^#)
私の知名度アップを共産党の政策を住民に知っていただく非常に重要な街頭宣伝でした。
コロナ対策、消費税減税、日本学術会議への菅政権による人事介入…
心を込めて訴えると、通りすがりの人たちの反応が違ってきます(^O^)
野党連合政権を現実のものにするために、いまこそ打って出るときです!(^^)/
写真(カラフルなドーナツ型の方)は、SDGs(Sustainable Development Goals 「持続可能な開発目標」)のピンバッヂです。
2015年の国連総会で193か国の全会一致で採択された非常に重要な目標です。
世界を良い方向に変えるために、2030年までに17の目標を達成しようと採択されました。
17の目標とは、
○貧困をなくそう
○飢餓をゼロに
○すべての人に健康と福祉を
○質の高い教育をみんなに
○ジェンダー平等を実現しよう
○安全な水とトイレを世界中に
○エネルギーをみんなに そしてクリーンに
○働きがいも経済成長も
○産業と技術革新の基盤をつくろう
○人や国の不平等をなくそう
○住み続けられるまちづくりを
○つくる責任つかう責任
○気候変動に具体的な対策を
○海の豊かさを守ろう
○陸の豊かさを守ろう
○平和と公正をすべての人に
○パートナーシップで目標を総達成しよう
ほとんどすべてが日本にも課せられているといっていいと思います。
このピンバッヂ、先日、垂水の新婦人内後援会のみなさんにプレゼントしていただきました!
とても意味のある励ましを受けたと思っています。
17のうち、垂水区で現在も取り組んでいる運動があります。
平和憲法を守る運動、核兵器廃絶の運動、生活相談所活動、少人数学級、中学校給食、
保育といった子育ての要求、中小業者の営業を守る運動、社会保障を良くする運動、市
民にあたたかい神戸をつくる運動…。
これまでの自分たちの運動の到達を顧みるのにもSDGsは、重要なスタンダードになると思います。
新婦人内後援会のみなさんと記念撮影をしました。
地元で取り組んできた運動きた運動の経験を国政の場で生かしていく決意を新たにしました。
共産党の議員には、こういう活動が出来る強みがあるのです。