国政での出馬を表明して市民団体やマスコミから、「政治家を志したきっかけは?」と尋ねられることがあります。
答えは─「志したことはありません」です。
ただ、私はこどもの頃から政治家を身近な存在として感じれる環境で育ったのかもしれません。
私の祖父は、保守系の政治家でした。香川県の小さな町(現在の綾川町)の町長を務め、よく話を聞いたものでした。
私は大学2回生の時に入党しました。
時は1980年代。
学生運動は全国的に下火になっていましたが、母校の大阪教育大学は比較的活発でした。
でも初めから民青同盟や日本共産党に接近していったわけではありません。
「政党とは距離を置こう」とか、「ソ連の核実験を批判するのは間違いじゃないか?」などと考えていました。
しかし、大学授業料の負担軽減や、ボロボロに傷んだ校舎の改善を求めることなど学生の願いや要求運動に正面から取り組んでいる先輩たちと出会い、信頼を寄せて20歳で入党しました。
あれから30数年。
3期12年間、神戸市議を務めさせていただいたことは、当時の私からみれば全く考えられなかったことですし、貴重な経験をさせていただきました。
今度は国政です。
総選挙で決着をつけ、政治を変えましょう(^^)/!
※この投稿は、以前に明舞後援会ニュースに寄せたものを一部修正したものです。
「進学校」などという“勉強”のイメージが強い同高ですが、私が在籍していたころはとても自由な校風でした。
昔の学生運動で「制服」が廃止され、私服通学OKでした(現在は知りませんが)。
先生からも「勉強しろ」と言われることはほとんどありませんでした。
授業は、ガウスやユークリッドなど大数学者の人生を生き生きと語る数学の先生、「しんぶん
赤旗」の「潮流」を使う日本史の先生、ネパール探検記を授業そっちのけでスライド上映する生物の先生、性教育に熱心な保健体育の先生、また、…侵略戦争の恐ろしさを英語で学んだこともありました。受験のテクニックではなく、学ぶ喜びをたくさん教わった気がします。
私は塾や予備校には一切行かず、勉強はあまりしませんでした。
というか、受験勉強に嫌気がし、集中しませんでました。
だから友達からは、「赤田はのんきやな。実はみんな予備校で頑張ってるねんで!」と言われもしました。
クラブ活動は卓球部。高3の秋まで続けていました。
3年間での最大の収穫は、何といっても体育。
毎回の授業の開始時に生徒全員が“周回走”というランニングをします。
男子で3000メートル。
神撫台(しんぶだい)という小高い丘の上のだだっ広いグランドを雨の日も風の日も…。
高校3年生の時にクラスで2番目のタイムを記録した時はとても嬉しかったですね。
おかげさまで、今でも体力には自信があります。
恩師の先生方とは今でも親交があり、個人的に応援していただいています。
※実はこの短文は、2019年5月に「明舞後援会ニュース」に寄稿したものを若干加筆・修正したものです。
「民主主義も、自由も、平和も、人権も、なにもしないで与えられ続けてきたものではなく、多くの人の努力によってまもられてきたものであり、これからもまもっていくべき尊いものだと思います。平和への願い、大切なすべてを守りたいの願いで、言葉だけではなく真の平和を大切になさっている共産党様に、その党の国政予定候補の方に、九条文字をお送りしたいと思い、お頼りしたしだいです。次の衆議院選挙で、野党の議席を増やすだけでなく、日本共産党様が躍進なさいますことを願っています。わずかでも励ましになれば幸いです。」(原文のまま)
他県の女性の方から、一通の手紙と、心のこもった「九条文字」が届きました。
昨年12月の中央委員会総会で党が発表した「新しい日本をつくる五つの提案」の中に、「憲法を守り、立憲主義・民主主義・平和主義を回復する」(提案2)があります。
振り返ってみると、私が駅頭などで訴えていて、この提案内容に共感してくださる方としばしば出合って来たように感じます。
コロナ禍と寒さの毎日ですが、宣伝と対話を重視しています。
2021年がスタートしました。
朝一番に、須磨区高倉台の「おらが山」に登りました。
整備された階段とは言え、久しぶりの山登りなので、チョー息切れ!!
足はパンパン(+_+)…
天気は良かったものの、初日の出は雲に追いかけられて、結構待ちました。
「2021年が明けました。今年も元気で頑張ります」。
横断幕を張って、新年の挨拶。須磨区の後援会みなさんと記念撮影。
さあ、総選挙の年(^O^)/
頑張るぞ!!!