アクセス数が20万件を超えました。
実に多くの皆さんにご覧いただいています。
自身の編集の仕方をあらためて見直してみなければならないな。
ブログの投稿だけでなく、他のサイドメニューも充実しないと…
少しリンク集を追加しました。
私の知人・友人のブログです。
併せてごらんいただければと思います(^^)/
今年は長梅雨になると言われています。
6月は、市議会の日程が集中する月でもあり、議会活動と地元活動を両立させるのはとても工夫が要ります。
下旬には本会議・一般質問を予定しており、過密な議会日程をこなしていくことは、議員冥利に尽きるなと感じる今日この頃です。
さて、垂水区日本共産党生活相談所は2007年夏にスタートし7年が経過しました。
県会の議席を失って以来、多くのみなさんからの厚いご尽力に支えられながら事務所を運営してきました。
駅前のたいへん立地条件に恵まれた事務所を守ることは並大抵のことではありません。
来年4月にいっせい地方選挙がおこなわれますが、これまでスタッフ一同が中心になって、来訪者のみなさんに対する接待と生活相談活動に取り組み、“共産党と市民との窓口”として、垂水で一定の市民権を得てきました。
住民のみなさんからの生の声は国政・市政はもとより、県政に関わるものも少なくありません。
私が市議として感じることは、県会議員が不在では、住民のみなさんの願いに十分に応え切れないということです。
県政への願いを届ける架け橋の役割、県政へ働きかける共産党のリーダーが必要です。教育・交通安全・河川・医療・雇用…重要な問題を扱う県政での日本共産党の役割と期待に応えることは党としての重要な責務だと思います。
住民のくらしと福祉を守ること、健全な地方自治体にしていくために、県・市議会で日本共産党の躍進を実現していきたいと思います。
「垂水は坂ばっかりやなあ」。
平地は垂水駅の北側一帯か、西舞子くらいかもしれないくらい、どこへ行っても坂道ばかり。
区外の方からよく指摘されます。
「赤田君、歩くの速いねえ」とも、時々言われますが、それはべつに足が長いから(?)でも忙しいからでもなく、高校・大学の頃、通学で塩屋駅や滝の茶屋駅から自宅までの上り下りによって鍛えられたせいなのかも知れません。
特に塩屋大谷の長い坂道はジョギングに最適。
須磨浦公園駅とジェームス山の自宅までの間を1時間程度で往復すると、夏でも冬でもいい汗をかくことができます。
昔は、垂水は空気がきれいなところでしたが、宅地や商業施設、交通量などが増加するに従い、だんだんとそうではなくなって来ました。
予算市会では、商店街・小売市場や中小業者への支援策について質疑しました。
質疑内容については後日に投稿します。
ところでこどものころのことですが、「ジェームス山ショッピングセンター」という小売市場をよく利用しました。
「いらっしゃい!」「毎度あり!いつもありがとう!」
─いつも元気な声で買い物客の流れに声掛ける漬物屋のおばさんと、となりの豆腐屋さん。
学校帰りになんとなく立ち寄った文房具屋さん。
ウチでしょっちゅう出前を注文した「南球園」という小さな中華料理店。
奥の突き当たりで営んでいた駄菓子屋のおばあさん…。
私が学生の頃には順番に店舗が閉鎖していき、就職をした頃になると、まるでトンネルのようにひっそりした”倉庫”と化し、涙を流し続けているかのようでした。
量販店の進出で大打撃を受けたのでしょう。
どのようにして営業を守ればいいのか、成すすべもなかったのだと思います。
現在は、まったく面影もなく新築の住宅街に様変わりしていますが…。
神戸市はこれから商店街や小売市場の振興策に力を入れるとしていますが、個々の小売店も含めた抜本的な支援策が必要です。
私は7歳のときに父の転勤で東灘区から垂水区に引っ越してきました。
いわば、“垂水っ子”です。
「須磨の向こうにも神戸市があったのか!」が第一印象でした。
ジェームス山に乙木小学校という学校がありますが、それが私の母校です。
「乙木池」を埋め立てて造った学校です。
プロサッカーの香川真司選手をOBに持ちます。
◇ ◇ ◇
私が通っていたのは30年以上前のこと。
当時の保護者だった方々との間で「長男がN先生にお世話になってね。
本当に優しい先生でした」などと、恩師の先生のことがしばしば話題になります。
「これ誰の名前かわかるかな?」と、N先生が赤いチョークで「田」と板書。
「ああ赤田や!」。
クラスがどっと笑いに包まれた情景を今でも憶えています。
こどもや父兄にとっては優しくユーモア溢れる先生でした。
しかし職員室では「共産党の先生」なる理由で、たびたび差別や嫌がらせに遭い、たいへん苦労されたようでした。
N先生は80歳を超えた現在も垂水区で元気に過ごされています。
◇ ◇ ◇
ジェームス山は旧外国人居住地など恵まれた景観の写生に訪れに来る人もよく見受け、映画のロケ地にもなったこともあります。
当時はジェームス山から垂水駅までの直通バスが開通していませんでした(徒歩で30分近くかかります)ので、開通したときには、地域で祝賀会が行われたことを記憶しています。
坂道ばかりで、東西のアクセスの弱さを運動しながら克服していったのだと思います。