塾の時代の教え子からも…

「災害と福祉に強いまちづくりをめざします…」夕方、明舞団地で街頭宣伝をしていたら、子連れの若いお父さんが私のところへ寄って来たので、演説を中断。「先生、名進(みょうしん)セミナーでお世話になりました。いつも応援していますよ!」と、塾の講師をしていたころの教え子が声をかけてくれたのでした(^^)”教え子”といっても、私が20代後半のころのこと。もう、15年?くらい前。そのお父さんも、いまは当時の私くらいの年齢の立派な社会人です。この時期になると、不思議なことに、しばしば懐かしい人たちに出会うものなんです。たぶん新聞記事や公報あるいは、駅前で街頭宣伝をしている姿を静かに注目してくれていたのでしょう。嬉しいと思っているのは私だけでなく、いっしょにがんばっているスタッフもです!閑話休題。8時過ぎに帰宅すると、机に一通の手紙が。なんと、長田高校3年生の時の担任の先生からでした(^^)/「今度は絶対に勝ってよ。応援するからね」私の返り咲きを期待して見守って下さる方が、区の内外に関係なくたくさんいると考えると、とても心強いです。

まだ寒い日がつづく…

お昼ご飯を食べに行った小料理屋の女将さんが私に、「大震災の影響で、お米がスーパーの店頭から消えてしまい、これでは商売にならないので、慌てて実家からお米を取り寄せて、業務に間に合わせました」と語ってくれました。乾電池、水、簡易コンロ、米…被災地から遠く離れた私たちの町でも、手に入りにくくなってきました。寒風が強く、タスキや幟が飛ばされそうなった一日でした。宣伝カーから、全党の総力を挙げて、被災地の救援活動に取り組む決意を語ると、何人もの聴衆から拍手を受けました。天気予報によると、”明日、被災地は強い雪に警戒”だと。被災地に親類や知人を持つ人は少ないが、”本当に気の毒だ。なんとかしたい”と願う市民の感情が地域に渦巻いている。

「憲法ネット」で署名行動

今日は、垂水駅東口で”憲法9条改悪反対”を訴える街頭署名行動をおこないました。9条を改悪して自衛隊を海外派兵し、武力行使をするような国づくりにしていくことは、大震災を受けて世界から温かい支援を受けているときに、その障害になると思います。また、年間約5兆円もの軍事費の無駄遣いが、社会保障制度や雇用対策、震災復興支援など、国民生活向上のための予算を確保することを困難にします。平和を大事にする社会でなければ、国民の命とくらしを大事にする社会にはなりえません。平和と国民のくらし向上をめざすための拠りどころとなるのが日本国憲法だと思います。

被災者支援カンパの訴えは、これからも継続しておこなう

連日、区内の各駅等での義捐金の訴えをおこなっているが、全国至るところで運動の輪が広がっていることで、そろそろ一段落付いたようにもみえる。でも、今朝は垂水駅東口で午前6時半から1時間半、午後は夕方5時から垂水駅西口で1時間訴えたら、サラリーマンやご婦人などから、つぎつぎに募金が寄せられ、合計3万円くらい集まった。今日は天候が悪かったので少し実施をためらったが、やってて良かった!今日募金をしてくれた人たちは、この10日間の間に別のところでも、募金に協力されたのかもしれない。また、どこに義捐金を届ければいいのか、私たちのハンドマイクでの訴えを聴いたうえで、足を止めて協力してくれたのかもしれない。被災者支援と被災地復興のための活動はこれからだ!今後も継続して取り組んでいく。

ウチの近所の人たちの思い

兵庫県は、予定変更することなく4月1日から選挙。「えっ!選挙、延期しないんですか?」「知り合いが被災しており、それどころではありません…」「テレビを視ていると、かわいそうでかわいそうで…気持ちが重くなる」国難ともいえる大事態において、被災地だけでなく、やっぱり全国的に延期すべきです。自分たちの街のこと、県のこと、自治体のあり方等をじっくり議論するにはなじまない。今日、ご近所のみなさんと対話するなかで、「息子が転勤で東北方面に出張中で、帰って来れないんです」「16年前に自宅が半壊し、助けていただきました。体験者として本当に身に詰まる思いです」などと、震災に対する思いが寄せられました。やっぱりこの局面、社会的に連帯して被災地への救援に総力を尽くすべきです。

母が参加した小さな演説会

 

 昨日は青山台こばと幼稚園で市政報告会をしました。実家の近所ということで、両親も参加しました。68歳になる母が初めて聴きに来ました。しかし最近、膠原病を患い、薬の影響からか、なんとなく、とろんとして疲れている様子でした。始まる前に独りでポツンと、パイプ椅子に座り込んでいるところへ、本岡節子議員が寄り添って母の肩をもみながら何かを語りかけていました…。「まあ久しぶりねえ!会うの30年ぶりかしら?」Hさんとの再会に感激しあう瞬間も!”故郷”で開いた演説会は、母にとっては懐かしい人との再会の場だったようでした。2時間のプログラムはあっという間に流れ、後片付けの後、実家に寄ることに。しまりのない演説にしてしまった私は、心の中でしきりに反省し通しでしたが、初めて聴いた母は笑みを浮かべ、満足げでした。20年来の心の病と向き合う妹の側に常に寄り添ってきたのが私の母です。もともとオシャレだった人が、気力と体力をすり減らし、最近は後ろ髪の乱れをあまり気にしなくなってしまいました。まだ夕方の4時を過ぎたばかりなのに、早く休みたがっている。母が参加した小さな演説会。これからもこの会場を使わせてもらうことはあるだろう。でも、ひょっとしてこれが”最初で最後”なんてことになりはしないだろうか?いや、それは考えすぎだろう…