月別アーカイブ:2012年1月

今年最初の行政視察②

11日は盛岡市へ行き、当市の復興支援策について調査にでかけました。

「岩手県の経済の中心であり、人材や資源、情報、交通が集積する盛岡市が、今こそ沿岸地域の復興に大きな役割を果たさなければなりません」(「東日本大震災に係る盛岡市復興推進の取組方針」より)。

市役所そばにある「もりおか復興支援センター(写真)」では、物資支援、電話や窓口での相談活動、個別訪問などをおこない、9600人を超える(1月8日現在)被災者の方が来館しているとのことでした。

“ここに来れば何かがある”―再会、出会いの場としての機能を果たしています。

同じ岩手県でも内陸部と沿岸地域とでは、気温が違います。

生活条件も急激に変化し、慣れない生活を送る人たちに対し、親身になってより良い支援を行おうとしている姿勢が感じられました。

市内に移り住んで来た被災者にとっては、より寒い街での孤独な生活の始まりでもあります。

切実な事態だからこそ、“支援して当然”といった思いで、支援センターのみなさんはがんばっておられるようでした。

館内には、支援グッズの販売もおこなっており、かなり好評です(写真)。

また、岩手県内の大学生のみなさんの発案で、中高生を対象にした学習支援も行っています。無料で、しかも、盛岡から、沿岸地域の中高校生たちのところへ出かけて行って、勉強のお手伝いをしていると聞きました!

語る迄もなく、復興までにはほど遠い状況ですが、国民レベルでの支援活動は途絶えることはありません。

そんな中で、TPP(環太平洋連携協定)への参加を表明したり、消費税率の引き上げを計画するなど、今の政権の政策と活動は、復興の重大な障害物でしかないと強く感じます。

今年最初の行政視察①

10日~11日にかけて、市会議員団で、行政視察に行ってきました。

初日はさいたま市。

中学校給食の実施状況について調べに行きました。

当市では、「総合振興計画」で、平成25年度を目標年次に、全ての中学校において単独校調理場を設置することにしています。

センター方式を採用しない利点として~

①各学校の特色を生かした給食の実施が可能になる

②きめ細かな食の指導が可能

③配送時間が不用なため、調理後喫食までの時間を短くし、適温での喫食が可能になり、食中毒発生のリスクが低減される

ことをあげておられました。

もともと中学校はセンター調理場でしたが、市内すべて単独調理場に変えていくのです。一般会計規模は4000億円を少し超えたくらいなので神戸市に比べれば、6割程度。

財政的には苦労もあるようですが、食育を推進する観点から、また、歴史的にも“中学校給食は当たり前”でおこなわれてきただけに、神戸市のいまだに実施されていないことが、異常に思えてきます。

神戸市の多くの小学校では、単独調理場です。

いまさらセンター方式の調理場に再編する必要はありません。

すべての小中学校で、自校方式で給食をおこなうべきです。

生活相談

垂水区生活相談所は、本日が今年初めての開設日。

私も、午前中に神戸市役所前で共産党議員団主催の街頭宣伝などを終えた後、地元に戻ってさっそく、今年初めての相談活動を開始しました。

子どもの教育相談、労働相談、雇用不安など40代、50代の方々からの相談でした。

ある40代の身体障害者のご夫婦は、3人の子どもを抱え、現在は無職・無収入。

家賃は滞納、高校生のお子さんは、中途退学を余儀なくされる。

ご主人は、力仕事で、体を壊してしまい、寝たきりの生活、奥さんは脳性まひのハンデを負いながらも、職業訓練校に通い、再就職のチャンスをうかがいながらも、全く仕事が見つからない、しかも、「3ヶ月も風邪を子どもたちが引いていますが、医者に行かせられないのがとても辛いです。一番下の子は、喘息を患っているんです」。

今日、福祉事務所に同行し、保護の申請を受理されて医療券が支給されることになったようですが…。

本当なら、仕事がしたい、しかしやむにやまれず、生活保護を受けざるをえない。そういうご家庭が本当に増えてきているなと実感します。

「生活保護を受けている人は、楽をしている」という人が少なからずいますが、私はそんな方に出会ったことは、いまだかつてありません。

2012年の元旦

2012年1月1日。

天気予報では、1日は曇りがちで荒れるようなことを報じていました。少し心配でしたが…。

今日は妻と、私の実家に帰りました。

同じ垂水区内でも近くて遠いのが、青山台の自分ちの実家です。

特に変わりはないようで、それが一番安心でした。

父から、プエルトリコにいる友人からの手紙を訳してほしいと頼まれ、英文の短い手紙でしたが、読んでみました。

「親愛なる友へ 地元では習性になっていますが、キャンディーを同封しましたので、ご家族の皆さんといっしょに食べてください。それから、あなたの好きそうなカレンダーを送りました。みなさんがこれまで以上に幸せな生活を送られることを心より願っています」といった内容でした。

もう、40年以上も会っていないのですが、ときどき手紙でやり取りを重ねてきているようで、貴重なつながりをもっているんだなと感心しました。

前にも書きましたが、妹が健康診断で検査に引っかかったようで、まだ、詳しく調べていないようですが、少し心配です。

妻が私の実家に来たことを、父・母・妹がとても喜んでくれました。

体の不自由な身ですが、母と妹を、来月のでも、うちの家に遊びに来てもらう約束をとりました。

今年の1月1日は天気予報の予測に反して、明るく晴れたとてもいい一日になりました。

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