写真は、塩屋の海岸です。今日、「第18回 塩屋浜・海上イベント~ファイナルステージ」に行ってきました。砂浜つな引き、すいか割り、じゃんけん勝ち抜き戦、ビンゴゲーム…多彩な催しを企画し、親子で夏の海水浴を満喫できるすばらしいイベントでした。しかし残念ながら、今年で最後。それでファイナルステージなんだそうです。炎天下の中で、朝から準備し、夕方の清掃・あとかたづけまで無事に執り行うには、主催者がだんだんと高齢化することでもはや限界に達したようです。残念な気がします。また全国どこでも若い担い手が不足し、似たような現象が起こっているのではないかと、ふと思いました。
”今後私たちの未来はどうなるんだろう?”ともに学び考え、交流しあいたいと願う、民青同盟西神戸地区委員会の若者たちによる手作りの企画です。共産党神戸西地区委員会との共催で、私も準備に関わっています。新長田駅近くで場所を確保し、元関西電力社員の方を講師に招きます。7月28日の午後7時からです。詳細は、私か下記事務所まで。電話 753-5287(日本共産党神戸西地区委員会)
月曜日は本当に暑かったです。、「国民平和大行進」に参加し、須磨浦公園から舞子駅までの約2時間コースを歩きましたが、途中で気分が悪くなるほどでした(^^;)せめて帽子くらいは用意して参加しないとと、後で反省しました。今回は、4月の選挙で私の事務所を手伝ってくださった2人の男性が初めて参加して下さったことがとても嬉しかったです。それにしても、たいへん堪えた為か、終わった後2時間ほど自宅で休んでしまいました。昨日、在日朝鮮人の女性を訪ねたとき、貴重な戦争体験をお聞きしました。その女性は、父が、戦争中に母国より強制連行されて、猛烈な暑さの炭鉱の中で過酷な労働を強いられ、毎日2~3人が犠牲者となり、遺体として運ばれていたことや、共産党員らしき青年が、特高警察によって拷問を受けた体験談を私に話してくれました。戦後その女性も差別を受け続け、「息子たちにだけはそんな苦労はさせたくない」と、必死になって2人の子どもたちに日本国籍を取らせたそうでした。今週は、15日に89回目の党創立記念日を迎えます。戦争体験を語り継いでいくこと、平和運動を広げていくことの尊さを感じます。
昨日、生活相談所前、天の下郵便局前、明舞センターバス停前で同時に「原発からの撤退を求める署名」を訴えました。私は、生活相談所前で訴えました。普段は私たちを毛嫌いするお店屋さんの店主も、「原発どう思う?”反対”やんなあ!」とか言って、意気投合することもありました。反応が日に日に良くなってきているのかも。昨日は東京・明治公園で大集会が成功しました。運動しなければ、政府も電力会社も態度を変えることはない。ドイツで原発撤退の法案ができた背景にも、国民の運動がある。だから、今こそ国民お願いに応えて奮闘する社会的責任があるんだと思います。閑話休題。今朝、3週間ぶり(?)に、地域のラジオ体操に参加しました。「まあ、久しぶり!忙しくて起きられへんかったんでしょう?」と、冷やかされました。でも、歓迎ムード。健康のために始めた本多聞のラジオ体操。6時半からというのは、正直厳しいですが、愉しい!帰り際に、世話人の方々に、「これからもがんばって出ます」といったとき、たいへん喜んでくださいました(*^^*)
今日は、建設水道委員会(市会常任委員会)の日でした。所管局は文字通り建設局と水道局。質問をすること自体、4年ぶりであり、私にとっては”メモリアルデー”でした(^^)久しぶりだからと言って、とくにあがることもなく、また、感が狂うとか、ブランクを感じるとか言うこともなく、適度な緊張感を愉しみながらの委員会質問だったと思います。請願も陳情も掛かってなかったので、当局からの「事業概要」の聴取の後に質問。水道局に対しては、東日本大震災の教訓を水道局としてどう受けとめるのかについて質しました。昨日の総務財政委員会では、原子力発電に依存しないエネルギー政策への転換を訴える陳情が市民から出され、福井の原発から半径20キロ圏内の琵琶湖が放射能汚染された場合、水道水が利用できなくなることにも触れておられました。全く同感ですし、市民の代表的な気持ちだと思います。神戸市が災害に強い街づくりの一環として、巨費を投じて建設中の大容量送水管(私たちは不要不急の無駄遣いと考えている公共工事ですが)でさえ、貯留能力を調べてみたところ、計画通り工事を完了させても、せいぜい7日分の水道水を市民に供給できるだけです。ハード面をいくら整備しても、フクシマのような事態になれば水道事業そのものが成り立たなくなってしまいます。答弁を聴いていて、今回の震災から深く教訓を汲み取った事業計画にはなっていないなと感じました。