予定候補者になると、マスコミ各社から調査票の提出依頼が来ます。
過去の職業などの経歴、学歴、趣味、尊敬する人、家族構成、現住所や本籍地…を記入するようになっていますが、
今回、ちょっと驚いたのは、1社から最終学歴を証明する書類の写しの提出を求められたことです。
過去に出た選挙ではそこまで問われませんでした。
よく学歴を詐称する人が出てくるので、それは分からなくもないですけど…。
しかし私の場合は大阪教育大学大学院修士課程を1992(平成4)年に修了しているので、それは30年前こと。
証明できるものと言えば、まず、卒業証書にあたる「学位記」。
これは大きいのでコピーが困難。
だいたい、小学校位からどの段階の学校の卒業証書はコピーしにくいはず。
もう一つは修了証明書。
これはB5サイズ1枚ものなので、コピーは簡単。
“もし何かで必要なことがあるかも”と一応保管してきたのが、幸いしました(;´∀`)
もし、失くしていたら大変でした(母校に問い合わせれば再発行できるかどうか、出来るとしても手間と時間が掛かるかも)。
学歴詐称者が頻発するということは、それが“売り”になるからなのかもしれませんが、求められるのは、この社会と国民のために、いったいどういう人たちの立場で政治家として頑張り通せるのか、だと思いますが(-_-)
今日は加古川市議選の支援に行ってきました。
6月5日告示・12日投票日です。
午前中は、宣伝カーで街中を通行中に、共産党の看板に気が付いた若い男女が「頑張ってくださーい!」。
写真は加古川駅南側の広場で、現職の立花俊治市議と新たに議席に挑む橋本和彦市政対策委員長と。
立花市議は、日本共産党の代表として市議会の中でただ一人市民要求の実現のためにひたむきに頑張り、実績を積み上げてきた方です。
橋本和彦市政対策委員長は、旧国鉄の時代から働く者の見方として奮闘してきたとても気骨のある方だなと思いました。
政治にはパフォーマンスよりも、大事なことは絶対にぶれずに、市民の暮らしを守るために頑張れること。
日本共産党員ならではです。
市議会に、核兵器禁止条約の批准、改憲をしないこと、消費税増税の中止などを国に求める請願が市民から出されましたが、賛成したのか日本共産党だけ。
絶対に勝たなければいけません。
久しぶりにブログを更新しました。
この度の参議院選挙(6月22日公示・7月10日投票日予定)で、私は比例代表(第2次)予定候補者として活動することになりました。
兵庫県全域を核に有権者に演説などで訴えて回ります。
要請を受けたのは5月14日(土)の元町大丸前での志位和夫委員長街頭演説会の終了直後。
党本部及び中央委員会からの突然の要請です。
※兵庫県女性後援会の集会であいさつしました。
早期の候補者擁立が切望されていたため、躊躇わず決意をしました。
私は過去5回の神戸市議選と昨年の総選挙を戦ってきました。
※三宮駅前から街頭演説。
今度は全県が対象です。
憲法を改悪して戦争する国へと国の形を変えられてしまうのか、それとも日本共産党の勝利で国民とともに、自由と平和が花開く日本の社会の前途を切りひらくのか─この戦いは、私にとって過去最高の責務だと受け止めています。
7月15日で党創立100周年を迎えます。
街頭宣伝中の反応は良くなっていていると感じます。
必ず勝利するために、兵庫で躍進の波を起こす決意です。
2021年──私が今年を漢字一文字で表すとすれば、「激」になります。
両親を亡くしました。
母は昨年秋以降から今年の8月に息を引き取るまで、病魔と命の限り戦い続けてきました。
その母の姿に私は最後まで接することが出来ました。
自身を押し殺し、他人に気兼ねをして、家族を思い続け、我慢と苦痛に耐えながらの母の人生でした。
とてもやさしい人でした。
最後まで日本共産党員であり続けました。
77歳と11か月の生涯、私との54年間…ありがとう、だけが心に残る。
そしてもし、父がいなければ、恐らく日本共産党との出会いはなかったのではないか?…と思います。
不治の病魔と闘いながら入退院を繰り返す妹。
病状が改善されてもいないのに、退院を迫られ、困り果てた時もありました。
総選挙を直前に控え、妻や親せきの助力はとても有難かった。
秋には幸いにも、適切な病院にめぐり合うことが出来て、転院することが出来ました。
入院中の妹へ、良いお年を!
◇ ◇ ◇
総選挙。これまでにない貴重な経験をしました。
市会議員選挙を含めると6回目の候補者活動ということになります。
昨年7月に出馬会見をしてから、投票日までの1年以上の期間。
悪政の強行と政治腐敗を重ねつづける政権与党は国民の怒りと不信感を激化させ、追いつめられ続け、解散のカードをなかなか切れなかった結果として、政治史上めったに体験することのないであろう任期満了後解散という流れで本番の選挙を迎えました。
私は今までほとんどかかわりがなかった須磨区のみなさんとも一緒に活動することが出来て、たいへん刺激になり、勉強にもなりました。
同時に国政選挙の候補者と市議選の候補者とでは、マスコミからのアクセスの違いも感じました。
勝利することは出来ませんでしたが、とても充実感とやりがいを感じ、教訓に満ちた候補者活動を体験できたと改めて思います。
2019年の市議選で落選した直後に後援会へのあいさつなどで、「私は一党員として、原点に立ち戻り地道に頑張ります」と表明しました。
どんな任務に着こうとも、“困っている人にやさしい政治の実現” “地道に一生懸命頑張る”活動に変わりはないです。
来年は、もっとハードな一年になります。
党創立100周年を迎えるメモリアルな1年でもあります。
垂水区から日本共産党の一政治家として引き続き前を向き、活動していきます。