「家からバス停までが遠すぎてまして…」。
舞子駅で早朝宣伝中に通りがかりの高齢者から要望を受けました。
舞子台の市営住宅にお住まいの方からでした。
後日、住民の皆さんと懇談。
現地を見て、「なるほどなあ」と感じました。
住民の方達と加藤健二さんと山陽バスへ交渉に行きました。
「要望書まで頂きました。しっかり会社に報告します」。
新たにバス停を設置するには、乗り越えなければならない点も在るようでしたが。
また、区内には同じような要望が少なからずあるはず。
市バスにも要請していきます。
今日は統一地方選挙・垂水区決起集会でした。
あいにくの天気。
土砂降りです。
「何人集まるやろ~」
ところが、会場はほぼ満員!
「カトウで勝とう!」
向上心旺盛な県会予定候補の加藤健二さん。
日に日に演説は力強くなって来ました。
「ガンバロー!!」で散会した後、垂水駅前で街頭演説をしました。
敵基地攻撃能力保有を盛り込んだ「安保3文書」改定閣議決定に抗議しました。
12月1日、山陽須磨寺駅構内に関する要望書を提出しました。
11月4日18:00頃、80歳代の女性が須磨寺駅構内の踏切を横断中に転倒して、通過中の特急電車に跳ねられて死亡するという傷ましい事故が発生しました。
私は山本純二・今井まさこ市議、地元の方々と一緒に東二見の山陽電鉄株式会社へ安全対策の強化を求めて申し入れを行いました。
踏切のセンサー、転倒防止、そして無人駅での人員の配置を求めました。
「なぜ、あの時人がいなかったの?」
「一番最後に下車し、後ろには人がいなかった」
「とっさの瞬間、女性は声を出せなかった」
「踏切の押しボタンを本人が押すことはできない」
「会社のモニターでの監視にはあまりにも限界がある」
次々と意見が出されました。
高齢者、障がい者が横断する際の安全対策で最も重要なのはマンパワー。
無人駅は垂水区にもいくつもあります。
◇ ◇ ◇
垂水区県政対策委員長の加藤健二さん。
来年4月の統一地方選挙の県会予定候補として、元気に活動を始めています。
給食費の無償にして、温かくておいしい給食を!
高丸地域での街角街頭演説と、生活相談会。
フットワークの軽い方です!ヽ(^o^)丿
私も嬉しいことがありました。
「議員だった時、お世話になった者です。高丸団地で演説しているのを、見て、聞き、嬉しかった。ご活躍、応援してます」
8月30日。
昼間の党の会議を終えて、ほっと一呼吸。
ちょっとスマホでフェイスブックを開いてみたら、Zさんが午前中に天国へ旅立たれたことに気づきました。
以前から癌を患っていたことをご本人は明らかにしていました。
「友達」になっている人はみんな知っていたはずだし、健康状態をとても気に掛け、心配していたと思います。
まだ、40代。
これから育ち盛りの子どもさんを残して…。
私はZさんとは一度しかお会いしたことがありません。
しかし、私とZさんとは東京に共通の知人がいました。
私の大学時代の先輩です。
彼女と私の先輩とは東京で山添拓参議院議員のサポーターをしていたようでした。
衆議院選挙公示前の神戸・元町大丸前の演説会終了直後に明るい笑顔で激励の言葉を掛けてくれたことがあり、それがきっかけで、フェイスブックで繋がりました。
2年前の9月下旬のことです。
日本共産党員としての活動経験も持ち、またジェンダー平等社会実現の運動に一石を投じた方でした。
思い立ったらすぐ行動をして日本共産党の躍進、平和と民主主義の運動に励む姿がとても頼もしかったです。
しかし一方でこの短い人生経験の中で、うかがい知れない辛い体験を重ねてきたようでした。
何かの刺激で過去に遭ったことがフラッシュバックされてとても辛い、苦しいと綴った投稿を何度か見たことがあります。
その被害体験がどれだけ人を深いところで傷つけ、その後の人生を引きずるのか。
教えられたような気がします。
Zさんは明るく、元気な才女。
政治や社会について、何が正しいのか、自分の意思と探求心で、日本共産党を発見し、接近し、そしてその生き方を選んできた経験をもつ貴重な存在。
もっと、もっと、もっと生きたかったろうに。
でも、病気と今後のことを悟っていながらも弱音は吐かず、残された人生を入退院し、大きな痛々しい手術をこの1年余りの間に何度も繰り返しながらも、自身に出来ることを力尽きるまで…生きよう!
日本共産党を心から、たとえ現在は、悲しきことに“距離”が出来てしまっても応援はし続けよう。
友人に党の値打ちを語り、入党を心から喜んだ投稿も有りました。
そんな心が晩年の彼女の投稿からたくさん伝わってきました。
日本の代表的なシンガーソングライター・ボーカリストの小田和正さんとの非常に近いつながりが興味深かった(私もファンなので、それを知ったとき本当にサプライズだった)。
…辛い。
残されたご家族のみなさんの気持ちを察するに余りあります。
病床からかな?7月6日で選挙終盤、参議院選挙候補者として神戸から三田へ移動中にメッセンジャーで1度だけ対話をしました。
お互い、党の活動やっているんだから、元気になられて、いつかどこかで偶然接点が出来ればと願ってエールを交換しました。
たぶん、無数の友人から励ましのメッセージを受けつつも、辛かったんじゃないかな。
でも、最期まで前を向いて、強く生きて来た。
いま改めて、検索してもZさんの投稿は出てこない。
もう、フェイスブックをご遺族の方が閉じられたのでしょう。
さようなら、Zさん。
記憶にはしっかりと残しておきたい。
どうか、安らかに。
「みなさんこんにちは!日本共産党です。私たちは参院選後も公約実現のために、地道に一生懸命頑張ります」。
全国どこでも頑張っていると思います。
党創立100周年に関わって、国葬問題について、コロナ感染拡大第7波、物価上昇、憲法9条そして、旧統一協会問題等々語りたい、語るべき内容が豊富にある。
また、みんな聞いてくれています。
先月から明舞地域の党支部と夕方に辻々にハンドマイク宣伝を継続しています。
昨日は途中で大粒の雨で1時間弱で中止しました。
あまり盛り上がらなかった普通の宣伝でした。ところが夜、事務所に女性から電話が。
「演説を家で聴いていました。とても分かりやすかったです!感激しました!!」。
「あんなところで演説したかなあ?」。
演説箇所から離れた団地の向こうの戸建住宅にお住まいの方からでした。
「赤旗」日曜版の購読を約束していただきました!
選挙で議席を後退させたからといって委縮していると損です。
国民から見れば、そんなことは関係なく、現在、政党が、政治家が何をしているかを視ています。
※この動画は自撮りです。雨が降りそうで蒸し暑く、試験的に演説したものですが…聴いてくれていたんでしょうね。