いよいよ、今日から市会議員としての生活が始まる!今朝は、6時半から本多聞6丁目の公園でのラジオ体操。終わって自宅に帰ると、妻が赤飯を炊いて用意してくれていた(^^)その後、1時間ほど地元の駅で早朝宣伝。独りで「期限を決めて原発から撤退」を訴えるビラを配布。午前中は地区事務所で会議。それから初登庁、という流れでした。いただいたのはバッジだけでなく、小さなカードサイズの、「市会議員証」。1期目のとき(2003年)にはもらわなかったものです。それには、「任期は平成27年6月10日まで有効」と記載されています。全体議員総会が本会議場でおこなわれたのも、1期目のときと違っていました(前は、委員会を開催する部屋でした)。気になったのは、本会議場に日の丸が掲揚されていたこと(やめてほしい)。議員団控え室の私の机の位置(本岡節子前市議が使っていた机)も決まり、今日それが一番うれしかったです。夜は須磨の事務所で会議。午後10時過ぎ帰宅。さあ、明日も”朝立ち”から一日が始まる。これからもよろしくお願いします(^^)/
昨日から、新しい名詞を使用することにしました。これまでの4年間、肩書きにつけていた「前」という一文字をようやくはずすことができました!せっかくいただいた議席です。4年間、公職として活動する資格を大いに生かしてがんばっていきたいと思います。明日は初登庁日。今日妻はなにやら、僕に”隠し事”をしているようで、「明日のお楽しみ」と言わんがばかりに…4年前のこの時期に、妻は大きな病気をして、大パニックになったときのことを思い出すと、2重にも3重にも幸せです。今朝、垂水民商の懇親会のときに、ある人から「赤田君は、いま何を食べても美味しいでしょ?」と言われましたが、そう言われてみれば、本当にそうです(*^^*)でも、最近体重が減りました。よく動いているせいでしょうか…明日、落ち着いて登庁します!
先日、地区委員会事務所に日曜版読者の方から、「ぜひ被災地に届けてほしいものがあります」との電話が入りました。連絡を受け、私は団会議が終わってすぐに、その方のご自宅を訪ねると、全長7メートルの幟が用意されていました\(**)/「がんばれ東北 まけるな東北」と筆書きされた縦長の幟でした。こいのぼりの竿くらいじゃないと、とてもたてることができない立派なものです。「九州の故郷で親戚がつくりました。東北に届けていただければうれしいのですが…。あずかって下さるのは共産党さんくらいなもんだと思って」と語り、私たちに託されたのでした。兵庫から被災地へ物心両面にわたる支援の輪の広がりを感じます。私の選挙を運転手として手伝ってくださったKさんも後日、いわき市へボランティアに行くと訊き、うれしくなりました。いま、日本共産党兵庫県女性後援会などが主催する「救援バザー」が準備中です。元参議院議員の安武ひろ子さんの絵画展、手作り小物・被災地支援野菜などの販売などもあるそうです。6月18日(土)10時~16時まで。神戸高速「新開地」駅を降りてすぐの日本共産党兵庫県委員会事務所でおこないます。16年前に震災を経験したので、決して他人事とは思えない、出来る限りの支援をしたいという思いを込めて準備しているところだと聞いています。
4泊5日間の短い活動でしたが、たいへん勉強になりました。全く知らない地域へ足を踏み入れ、「神戸から支援に来ました。何かご要望はありませんか?」と語りかけるだけで、たいへんよろこばれてきました。神戸の震災と比べても、支援の手が本当に届いていない。そしてあまりにも広大すぎる。神戸に帰ってから自分たちになにができるのだろうか?考えさせられた5日間でした。早速始めたのが、原発からの撤退を求める署名です(写真は、5月30日早朝、舞子駅で)。フクシマの悲劇は決して、遠く離れたところの問題ではない。誰もがそう感じていると思います。早朝に通勤などで急いでいる人たちに訴えると、「ありがとう!」と言って、立ち止まって署名してくださった方もいます。「これからの福島はどなるんだろう…」と語ってくれたいわき市の女性の一言が、今回の活動を通じ、私にとっては最も象徴的な言葉でした。この国のあり方、社会のあり方が鋭く問われている。そんなときこそ、国民の前に打って出て、国民の願う新しい政治への展望を示すことができるわが党の出番です。
私たちは、日本共産党からの支援部隊として今回のボランティア活動に参加しました。あらためて感じたことは、地元の共産党のみなさんの奮闘振りです。事務所には、連日、地元の党員の方々(決して若くはありませんが)が詰め掛け、炊き出しや避難所訪問などをしておられました。なかでも、宮川えみ子県会議員は、震災前から再三、福島原発の危険性を取り上げ、津波対策の強化を申し入れ、地元では、”すぐに動く身近に頼れる人”として、その存在を知らない人は、ほとんどいない様子でした。私たちといっしょに避難所を訪ねたときも、被災者から出された要望を事務所に帰るとすぐに当局に電話し、夜半に申し入れ書を作成して翌日、交渉にあたっておられました。訪問先では、「初めて訪ねてきてくれた。共産党さんだけですよ。話を聞いてもらえるだけでもうれしいです」と、私たちに笑顔を振り向けてくれた方にもたくさん出会いました。不安とストレスを抱え、これからの見通しが全く立たない現実と向き合う住民のみなさんの願いを本当に実現することが、いま強く求められており、私たちの出番です。