晴天の中で街頭演説

本日は、とてもいい天気でした。

ゴールデンウィーク最終日ですが、みなさん、今年はいかがだったでしょうか?

消費税増税でくらしや営業に影響は出ていませんか?

安倍内閣の暴走はとどまるところを知りません。

私もいろんな方からご意見をいただきました(上の写真は、星が丘にて)。

今朝は宣伝カーで垂水区内を街頭演説しました。

「集団的自衛権」発動の危険性を指摘するとともに、憲法9条を初めとする現行憲法を守り、活かすことこそ今の社会に求められていることを訴えて回りました。

ところどころで、窓から、またご自宅から出てきて激励していただいたりもしました(写真は、神陵台3丁目で)。

これからも駅頭で、宣伝カーで、ハンドマイクで辻辻に訴えていこうと思います。

団地の道路を補修していただきました。

 

今日は5月1日。

第85回メーデーが全国各地で開かれ、私も神戸会場(三ノ宮東遊園地)に参加してきました。

消費税増税や医療・年金などの社会保障の改悪、戦争する国づくりに暴走する安倍内閣の政治に、幅広い国民のみなさんと力を合わせてたたかうことを固く誓い合う集会でした。

話は変わりますが、先日、南多聞台8丁目の住民の方から、「道ががたがた。足が悪いと転んでしまうので道路を直してください」と指摘され、早速、垂水建設事務所に問い合わせて、道路を補修していただきました(右下の写真が補修前の道路です)。

岐阜・富山を視察

会派の視察一日め。

23日は岐阜市役所へ。

同市は自動車を中心とした交通から公共交通や徒歩、自転車の役割を重視し、歩いて出かけられる町をめざす、総合交通政策をつくっています。

コミュニティバスを地域の方々が運営し、市内で安定的に営まれており、全国からも注目されています(写真はJR岐阜駅前周辺を運行するコミュニティバスです。左・金沢はるみ、中・大かわら鈴子議員と)。

コミュニティバスは、需要は高くても、採算面や実際の運営ノウハウなど先行きのことを考えると、地域住民にとってなかなか手掛けにくいのが、実際のところです。

同市では交通政策課の職員が地域に足を運び、地域が踏み切れるところまで時間をかけて支援に入っています。

そこが神戸市にも求められているところだと思いました。

コミュニティバスを走らせるのに有利なのは市街地。

高齢化が特に深刻な地域、交通不便地となると、どうも事情が違うようです。

共産党岐阜市議員団の方のお話によると、不利な地域への手当てこそ行政に求められているところだと言われていました。

2日目は富山市役所へ。

JR富山駅は来年の新幹線開通を控え、それに照準を合わせた工事を急ピッチで進めていました。

同市は自動車依存度が高い町でしたが、高齢化が急速に進み、運転をやめる人も増えてきています。

市街中心部の人口が減ってきているようで、町の活気付かせ、利便性を向上させるためには、公共交通機関で移動しやすい街にしていく必要があり、LRT(Light Rail Transit)と呼ばれる新型の路面電車を走らせています。

バス並みの運賃で市内を円滑に移動できる交通手段として市民の間で好評のようです。

人口減少、急速な高齢化。

導入すべき同市の事情があったのでしょう。

明石公園でお花見

今日は、明石公園で垂水区日本共産党後援会が花見を主催しました。

桜が満開でとてもきれい!

池の周りはとてものどかで。

しかし、雨が降ったりやんだりで、傘を差しながら弁当を食べ、肌寒さをちょっと我慢しながらアコーデオン演奏で、みんなで歌を歌ったり…

 

それでも、初めて参加した人、久しぶりにお会いできた人にも出会えて、とても良かったと思います。

午前11時開始でしたが、早朝7時から事務局の方々が場所取りをしておられました。

本当にお疲れさまでしたm(__)m

ようやく春めいてきました

3月の予算市会が終了しました。

ようやく春めいてきました。

出来るだけ地域に足を運んでいるところです。

市民のみなさんからの率直なご意見をよく聴き、これからも一生懸命がんばります。

私と垂水③

「垂水は坂ばっかりやなあ」。

平地は垂水駅の北側一帯か、西舞子くらいかもしれないくらい、どこへ行っても坂道ばかり。

区外の方からよく指摘されます。

「赤田君、歩くの速いねえ」とも、時々言われますが、それはべつに足が長いから(?)でも忙しいからでもなく、高校・大学の頃、通学で塩屋駅や滝の茶屋駅から自宅までの上り下りによって鍛えられたせいなのかも知れません。

特に塩屋大谷の長い坂道はジョギングに最適。

須磨浦公園駅とジェームス山の自宅までの間を1時間程度で往復すると、夏でも冬でもいい汗をかくことができます。

昔は、垂水は空気がきれいなところでしたが、宅地や商業施設、交通量などが増加するに従い、だんだんとそうではなくなって来ました。