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ある日の出来事~生活相談所の無料法律相談

 木曜日は、生活相談所で事務所当番をする日。先日、私が机で実務作業をしていたときに、見知らぬ若いご婦人が独りで事務所を訪ねてきた。「あのう…ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」玄関前に立ち止まり、緊張した面持ちで私に声をかけてきた。「赤田さんですね。同じ団地の○○です」ご近所の方だった。長年にわたって悩みを抱えこみ、しかも現在失業中ということもあって、生活面も含めて話しやすい弁護士を探していることがわかった。法律相談会はどこでもやっている。ではどのようにして、ウチの事務所を訪ねる気になったのか?知人から「共産党系の弁護士を訪ねてみたらいいやん。あそこが一番親切やわ」と助言されたとのこと。毎月、無料法律相談会をおこなってきたが、そこには、多重債務や、遺産相続、離婚問題等々なかなか他人には打ち明けられない悩みが寄せられ、わかりやすく親身な対応にたいへん喜ばれてきた。最近は、私の自宅近所の方もよく相談に来られる。他人にいえない悩みを抱えながら。ところで○○さんの法律相談、いい解決策が見えてくればいいなと願っている。また、この”出会い”をきっかけに、共産党をより身近に感じてもらえればいいなとも思う。

私の宝物

マントを着たアンパンマンのようなこのイラストは、8年前、私が初めて出馬したころに、漫画家の瀬戸恵子さん(「兵庫民報」という週刊誌に「ひなたぽっころりん」という4こま漫画を連載しています)に描いていただいたものです。地元では、私のキャラを上手く表現したイラストとして、親しまれています。ポスターやチラシ、タスキなどにも使わせていただいている、いわば、私の”宝物”です。以来、このイラストのように、いつでもどこでも、真っ先に跳んでいく元気な活動を心がけています。

「赤旗」今週号の魅力~韓国プロ野球

 社会のこと、政治のこと、日本共産党のこと…「赤旗」をたくさんのひとに読んでもらいたい─そんな気持ちは、私たち共産党員の共通の願いです。11月28日付号「しんぶん赤旗」日曜版の魅力の一つは、自分的には、元中日ドラゴンズの門倉健投手へのインタビューです。なぜかというと、韓国プロ野球のことが書いてあるからです(きわめてマイナーで失礼します)!門倉選手は、現在SKワイバーンズという、仁川(インチョン)のクラブチームで活躍し、今年の優勝の立役者になった方ですが、韓国のプロ野球事情がとてもよくわかる記事です。韓国に親しみを感じさせる記事だと思います。ところで、私も議員のころに神戸の港湾政策の参考にと一度、釜山(プサン)港へ視察に行ったことがあります。プサンといえば、”韓国の阪神タイガース”いも言える人気球団、「ロッテジャイアンツ」があるところ。ホテルに帰ってからの自由時間に一人でチャガルチ市場に買い物に出かけて、露天のおばさんたちに、「アンニョンハシムニカ。ヤグジャン(野球場)…ロッテジャイアンツ!」と、身振り手振りで話しかけて、笑われたこともありました(*^^*)ゞ最近、ハングルも多少覚えたので、イム・チャンヨン(ヤクルト)、キムテギュン(千葉ロッテ)、イ・スンヨプ(巨人)など、名前を覚えるのが、ずいぶん楽になりました。私は、1982年(たしか全斗煥軍事政権の時代)に発足して以来、韓国プロ野球に関心を寄せてきました(日本では、太平洋→ロッテで活躍した白仁天選手などがいたころです)し、大学院生のころに、甲子園球場へ日韓の親善試合を観戦したこともあります。門倉選手が語るように、今日ほとんど日本との実力の差がなくなり、マリーンズとチャンピオンバトルができるようになりました。以前は、日韓交流試合といっても、まともにマスコミは取り上げてくれませんでした。韓国のプロ野球がより身近な存在になればないいのにな、とか来年は、”プサン港へ帰れ”の韓国語版を暗記して、サジク球場へ応援に行けたらいいなと願っています(^^)/

北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃について考える

 「ああ、またかぁ」「いつも選挙の前や、かなわんわあ…」─尖閣諸島問題、千島(「北方領土」に関わる)問題、そして今度の北朝鮮による韓国・延坪(ヨンピョン)島への砲撃事件と、ウチの党とはまったく無関係でありながらも、外国の政権による許しがたい行為によって、国民から誤解され、警戒される出来事が続いています。本当に迷惑な話です。北朝鮮による軍事挑発行動は絶対に許せない無法行為であり、拉致事件や核ミサイル実験などで常に挑発的な行動をとってきた国だからこそ、事実と道理を踏まえた論立てをする対応が必要です。北朝鮮という国は、社会主義・共産主義とはまったく無縁な国です。日本共産党にとっては、韓国の政党や政府とは野党外交で交流できても、この国の政府・政権党とはまともに付き合える関係ではありません。ふと思うことがあります。垂水にも朝鮮高級学校がありますが、そこに通う生徒たちはどんな思いで今回の事件を受けとめているのか、辛い思いをしているのではないかと。北朝鮮という国の庶民生活がどういうものなのかはよく知られているとおりです。「一民族は他民族を圧迫しつづけながら同時に自由になることはできない」(エンゲルス「ポーランドについての演説」1847年)ということを書いた論文を以前に読んだことがありますが、市民的政治的自由を国民から奪い取っている国に未来がないことは、科学的社会主義の先達達が明快に述べてきたとおりです。

野球の歴史はおもしろい

ある本によると、戦前の職業野球ファンは、特定のチームを応援するというよりも、選手を応援する志向のほうが強かったようだ。今のような派手な応援はない。選手一人ひとりの俊敏で華麗なプレイを楽しんでいたことだろう。当時の写真を見ると、後楽園も甲子園もガランとしている。戦争が激化すると、野球そのものが”敵国の競技”として白い目で見られるようになり、チームは次々に解散し、1944(昭和19)年に公式戦は中断される。しかし、そんな中、45年の正月に関西のチームだけで、甲子園・西宮で非公式の試合をしたというから驚きだ。ファンは寒中、コートを身に纏い、焚き火をしながら観戦したとか…。草創期のプロ野球も根強いファンに支えられていたんだなと感心する。私が子どものころ、たしか「プロ野球選手名鑑」だったと思うが、戦後復興期に誕生したばかりの広島カープが経営の危機的状態を打開するために、ファンから募金を募って人件費に充てた話を読んで強い衝撃を受け、私は「赤ヘル」の帽子をかぶって小学校を登校したこともあった。「赤田やから、赤ヘルか?」とかって、冷やかされもしたが、子どもながらにカープを応援することに誇りを抱いていた。今と違って、スポンサーがなかったこともあるが、市民からの浄財で球団を運営し、危機を乗り越えたのだから、巨人や阪神などとは違い、弱かったとは言え、ファンとチームの間に一体感があったことだろう。あの”樽募金”…草の根のパワーで苦労を乗り越えながら戦ってきた点は、どこかの政党と共通していることでもある。

野球好きの私には夢がある。もしかなえられるなら、タイムマシンに乗って草創期のプロ野球の試合を観戦してみたい。当時は、職業野球と呼ばれ、学生野球花盛りの時代に、興行としての野球は世間から見下されていた。ラジオ中継は一部あったらしいが、テレビがなく、東京と大阪にしか球団がなかったので、戦争体験者から戦時中の苦労話をお聞きする機会には恵まれても、当時の職業野球を観戦したという体験談を聞いたことは一度もない。中河美芳(イーグルス)、沢村栄治・ビクトル=スタルヒン・川上哲治(巨人)、若林忠志(阪神)、苅田久徳(セネタース)、石丸進一(名古屋)、鬼頭数雄(ライオン)、野口二郎(大洋)…球史に残るスター選手たちを、当時の後楽園球場や甲子園球場、西宮球場などで観戦できたらいいのになという、全く不可能な夢。当時の観客数は今と比べ物にならないくらい少なかったが、いったいどんな光景だったのか、応援風景はどんな様子だったのか、応召で戦地へ赴く寸前の選手たちを、ナインや野球ファンはどのようにして見送っていったのか…書籍である程度知ることができるが、実際の様子を味わってみたい。戦争は選手たちの命を奪っていった。戦争がなければ、大スターとして球史に残る輝かしい記録を数倍多く残していたかもしれなかったのに。  

昨年夏に東京・野球体育博物館へ行った時の写真です。後ろの「鎮魂の碑」と銘打たれた石碑には、戦争の犠牲になった選手たちの氏名が刻み込まれています。

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