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貴重な戦争体験を聞く

生活相談所は高齢者が気軽に休憩しに来られる憩いの場でもあります。87歳のSさんは週に3~4回来所し、「うちらの戦争体験を聞いてくれるのは、ここの人たちだけや」と散歩の途中に立ち寄り、なかなか聴くことのできない沖縄戦の体験談を語ってくださいます。細身で長身、姿勢よく椅子に腰掛け、「軍隊というものは本当に厳しいんだよ。みんな本音では戦争には反対だった。でもそんなことは絶対に言えなかった…」と、切々と語るSさん。金沢の第九師団に入営し、軍旗の護衛兵の任務に就き、1944年10月10日の那覇大空襲を体験しました。「私はたまたま墓の下に隠れたから助かった。外にいた人は全滅やった」迫力ある証言です。「戦争は生身の人間が行くんだ。病気の人は捨て去られ、その日のうちに死者を焼いてしまう。そのとき、人間は国家の消耗品かと思った」。

両親と妹と

 仕事をすませた後、久しぶりに青山台の実家に帰った。ジェームス山地域の仲間のみなさんが「実家の両親とは連絡を取れているの?」とよく心配してくださる。帰れたのは、選挙前、こばと幼稚園で市政報告会を開いたとき以来になる。妹の誕生日であったことを思い出し、急いで何かを買って、午後7時ごろにたどり着いた。8時半ごろまで一家団欒のひと時を過ごすことができた。小学校1年生のときから慣れ親しんできた食卓での晩御飯。「当選証書」を持っていったが、その話はあまり盛り上がらなかった。父は最近、新聞の切り抜きに懲り、”大忙し”だそうだ。障害をかかえる妹は、母が病気して以来、家事手伝いで家族を支え、前向きにがんばっている。母は2ヶ月ほど前に腰の骨を折り、歩行が困難になっているが、少しずつ容態が良くなってきているみたいで少し安心した。これから主治医のT先生とも運動上、接点が増えるだろう。それなら母の病状を聴くことがあるかもしれない…。取りとめもない話であっという間に過ぎ去った1時間半。母は疲れ易い体質になったせいか、早く床に尽きたいモード。”もう帰ろう”─玄関で靴を履きながら、(母が)「智津ちゃんによろしく」(私は)「また綺麗な服着て外を歩いてね」と、言葉を返す。私の帰りを見送る両親と妹。ドアの約20センチの隙間から映る母の笑顔がなんともいとおしかった。

当直~24時間体制の共産党事務所

 今日は、朝から夕方まで市会議員団で学習会。借り上げ住宅問題、国民健康保険、中学校給食、教育問題…市民の強い要求に応えた議員活動をする上で必要不可欠なエッセンスを深めることができた。しかし、昨日の夜から今朝まで垂水の事務所で当直だったためか、とてもハードな一日でした。共産党の事務所(日本共産党神戸西地区委員会)は、24時間体制。いつ何時にでも、電話対応などができるように、仲間同士で協力し合い、事務所を支えています。私は長年、当直を引き受けてきていますが、生活相談や政策についての質問・要望の電話も受けてきました。疲れることもありますが、とても大切な任務だと感じています。

進路

 ずいぶんあったかくなって来た。近くの公園での早朝のラジオ体操も、軽装でやってて全く苦にならない。最近、妻は来春高校を卒業する姪の”夢”をかなえたく走り回っている。女子野球─高校にはソフトボール部しかった。ネットや知人の伝手で探しまくって、尼崎のクラブチームを見つけたようだ!昨日は、朝から始まる公開練習にあわせて、2人で始発のバスに乗り、見学してきたらしい。夜、疲れたのか、妻は帰宅後すぐに床に就き休んでいた。どんな様子だったのか、自分に合いそうなチームなのか、様子は訊けていない。女子野球選手の夢をかなえたいと願っている妻。これから”自分探し”が始まる姪。いい方向に話が進めばいいのになと想う。

たいへんご心配をおかけしました(生活相談所)

今週から生活相談所を再開しました。垂水区の共産党の窓口として、また困ったときの駆け込み寺として多くの住民の皆様から再開を待ち望まれていました。私が不在の場合でも、御用の場合は、事務所の相談員にお伝えください。常に住民目線でがんばっていきたいと思います。

ゴールデンウィーク

ゴールデンウィーク。去年、おととし何をしていたか、ぜんぜん憶えていません。あまり上手に時間を費やしてこなかったからだと思います。今年は、一日休んで妻と京都に行ってきました。と言っても私自身、観光を愉しもうという気分が全然沸いてこず、ふと、思い立ったのが義父の墓参りでした。お墓が京都にあることを訊いていながら一度も参ったことがなく、この際、と思って妻に提案をし、行くことになりました。トラックの運転手をされていた義理のお父さん。亡くなられてから30年以上たってもこよなく愛し続ける義理のお母さん。「今流で言えば、久保田敏伸みたいなマスクよ」と、幼かったころに感じてきた印象を語る妻。「お父さん、2人の孫は元気に育っているよ。今度はお母さんといっしょに来るからね!」墓前に線香をあげ、語りかける妻の姿を横目に、生きている両親を持つ自身の未熟さをあらためて感じさせられました。もし生きておられたら、私の応援をしてくださったかもわかりません。そして、芯の強い娘さんを人生の伴侶としてもてたことを心から感謝しています。義父が眠る立派な寺院を後に、こんどは鈴虫寺(華厳寺)へ。すると、びっくりするほどたくさんの若者たちが行列をつくっていました!まるで、USJかディズニーランドで順番待ちをしているかのよう。境内にたどり着くまでに2時間は掛かるといううわさが耳に入り、結局あきらめて別のところへ向かったのですが、妻は笑みを浮かべながら、「ここは、何か願い事がかなったときに来るところなのよ」とか。どんな願い事がかなったのか、私にはっきりとは語ってくれないのですが、後日、友達とリベンジする計画だと。選挙のことでないのは確かですが、まあ、そのうちわかるだろうし、共通の願いがかなうのなら、どんなことでもよろこびたいと思います。