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洲崎球場跡地をたずねる

プロ野球はいよいよ大詰め。
セ・リーグは阪神、ヤクルト、巨人の首位争いが注目されます。
今年は一度も球場へ野球を観戦しに行く機会に恵まれませんでした(;;)
しかしこの夏、時間を割いて東京まで足を運んできたところが2か所あります。
〔1〕洲崎球場跡地

江東区にあります。
日本プロ野球史上初のホームグラウンド。埋め立て地に作られた球場でした。
沢村栄治投手(巨人)や景浦将選手(タイガース)などの全盛期に使用されました。

現在は、ビルや立ち並ぶ街のど真ん中。
江東区新砂1丁目付近です。
しかし当時は非常に水はけが相当悪かったそうで、満潮時にグラウンドが水に浸かって中止になることも。
当時の新聞を拝見すると、1938(昭和13)年3月15日の巨人対名古屋金鯱戦は、ダブルヘッダーの第2試合が5対2の5回コールドゲームで巨人。

  ◇          ◇           ◇
〔2〕鎮魂の碑
黎明期のプロ野球選手達は、絶対主義的天皇制の時代にありながら白いボールに魂を込めて束の間の熱き戦いを繰り広げてきました。プロ野球が日本社会に定着したのは、この野球に思いを馳せた当時の若者たちの功績です。
しかし!
「今春巨人軍から晴れの入営をした職業野球のヒーロー、鉄腕投手の沢村栄治君がいつの間にか山田(喜)部隊の一等兵として武漢攻略の北部戦線に現れた、…『出征してから野球のことはまるで忘れてしまった…中山が負傷した三原さんが負傷した、こんどはわしの番かなハ、ハ、ハ…』(1938年9月11日付け「読売」より)

もし、戦争がなければ…もっともっと活躍していたはずです。

写真は、東京ドームの前にあるプロ野球鎮魂の碑。
東京に行くとき、必ず立ち寄ってみたくなるんです。
「野球は敵国のスポーツ」だとして、弾圧されました。
兵役を拒否することはできませんでした。
スタルヒンのような外国籍の選手は差別・迫害を受けました。
戦争は若者の夢や希望を、スポーツ発展の芽をむしり取ってしまいます。

一人でも多くのみなさんの力こそ大切


  • 「おはようございます。『赤旗』号外です。北海道から沖縄まで、全国各地で運動が燃え広がっています!」昨日の朝、舞子駅で。

    「安倍総理大臣は焦っています。国民の力で政府を追い詰めています。もう少しです。一人でも多くのみなさんのご協力をお願いします!」昨日、多聞台団地にて。
    ◇       ◇        ◇
    今日の昼間は、三宮センター街に向かう途中で。

    「集団的自衛権絶対反対!」
    「憲法をこわすな!」
    「戦争反対!」
    「子供を守ろう!!」。

  • 文教こども委員会で管外視察③

      3日目(9月2日)は富山県庁。
      DV被害者への支援策では、進んだ経験を神戸市でも積極的に取り入れていくよう要望していきたいとの問題意識を持ってお話をうかがいました。

      それと、中学生の運動部活動の推進策についてお聞きしました。
      ◇          ◇         ◇
      視察ではいつも、電車・バス・飛行機での移動中やホテルに滞在中が、レポートを書いたり、普段読めていない資料や書物に目を通せる貴重な時間帯になっています。
      また、各訪問先から調査項目にもとづく資料と合わせて、議会の特徴や町の特色、観光名所、ご当地に縁のある著名人を紹介する資料などもいただきます。
      それらは今後、私的に活用することもあるかもしれませんし、また、「最近、コミュニティバスが開通したがどういう経緯で…」「中心部の人口ばっかり増やして大丈夫か?」といった別の問題意識が湧き、あらためて訪れてみたいと思ったりもします。

    文教こども委員会で管外視察②


      2日め(9月1日)…まず、荒川区役所へ。
      こどもの貧困対策について、同区の取り組み・概略をお聞きしました。
      区長を本部長に貧困対策本部を設置し、荒川区民総幸福度(GAH)という指標を設け、研究を重ねています。
      印象的だったのは、生活支援や学習支援を提供する団体への補助事業。
      先週視察した豊島の実践も元々は荒川区から始まったようなので。
      小学校は学校選択制を採用していると聞いていたので、質問してみました。
      南千住のような再開発地域はこどもの数が急増しているところでは、学校選択制どころではないと。
      設置から3年。
      どこまで取り組みが進んだのか。
      たとえば、こどもの教育権、学習権では…少人数学級の推進や家庭への経済的支援も必要なのでは?
      ◇    ◇    ◇

      写真は社会福祉協議会の事務所内です。
      「おもちゃ図書館 子育て交流サロン」。
      神戸にもありますが、ここは週5日制で、朝から夕方まで開設しています。
      写真右下に、座って作業しているおじさんが写っています。
      こどもや保護者から壊れたおもちゃが届けられ、修繕をしています。結構、これが好評だとか。

      地域のボランティアのみなさんによって支えられています。
      「理由を問わない一時預かり保育」。
      地域の保護者から「リフレッシュできました‼」と、たいへん喜ばれているそうです。
      元々は「障がいのあるこどもたちにおもちゃの素晴らしさと楽しさを」との願いからスタート。

      「ここは障がいのあるこどもたちと地域との出会いの場です。地域の中で共に育ちあい、心のバリアフリーを作っていきたい。こちらまで来たがらないこどもたちにどうはたらきかけていくかが課題です」。
      こどもたち、お父さんにお母さん、お年寄り、地元の人たちによって支えられています。
      町の温かさを強く感じました。
      その後、足立区へ。こども未来創造館「ギャラクシティ」を訪ねました。

    文教こども委員会で管外視察

      文教こども委員会から2泊3日間の管外視察。
      初日(8月31日)は東京都・豊島区役所へ。
      同区は日本創生会議から「消滅可能性都市」と言う指摘され、「国際アートカルチャー都市構想」を。
      三宮のような大規模な開発と、人口増を図ることに相当力を入れているようで…。
      近年、外国籍の方も含めて人口が増え続けています。
      新しい区役所は11階から49階までを高層マンションに持つ(432戸)高層ビルです(共産党区議団は2012年に建設に反対する声明を出していました)。
      区役所内には、若い世代の来庁者が目立ちました。
      待機児童数も当然多いはずですが、新たに認可保育園をつくる計画はないようです。
      新しい区役所は、もともと、以前に閉鎖した小学校と児童館があったところ。
      子どもの数は増えているのだから新たに別の場所を使用してでも、新築する必要があるのではないかと思いました。
      先日の会派の視察で、NPO法人がこどもの貧困問題に向き合った精力的な活動をしていたことと重ね合わせると、行政サイドの子育て施策の遅れが際立って見えます。

    こども子育て~会派で東京へ

    会派の視察で東京都に。
    森本・大かわら・大前議員、事務局員の方と5人での一泊二日間。

    26日は世田谷区役所にて。
    ①中学校給食
    世田谷区は一部を除いて中学校の給食をセンター方式から自校方式を採用。
    老朽公舎の改築に併せて実施方式を転換しています。
    全校に栄養士を配置し、こどもの様子に鑑み、キメ細やかな献立を作れます。
    もはや、東京23区では自校調理方式が当たり前になっています。
    ◇          ◇          ◇
    ②待機児解消策
    同区は全国で待機児童数が最も多いとされています。
    しかし、「保育園に入園できなかったために育児休業をしたケース」も待機児童数にカウントしており、そこが神戸市ほか他都市と違うところです。
    小規模保育園の整備も進めていますが、主眼は認可あるいは認証保育園の整備が中心。連携施設をしっかりと確保することを先行させているようです。
    ただ本当に保育の質を下げないために必要なことは、公立を含む保育所整備ではないでしょうか。
    ◇          ◇          ◇
    ③27日は豊島区に。こどもの貧困問題は切実で、対策が本当に必要です。
    NPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」が、こどもたちへの学習支援や遊び場、交流できる場を提供する精力的な活動をしています。
    保育園に入れないこども、不登校のこども、塾にいけないこども、家庭の愛情が特に必要になっているこども…公園や区民広場、お寺などを活用し、プレーパーク、「夜の児童館」や「子ども食堂」を運営。地域の人たちや大学生などの力が支えになっているようです。
    こどもたちの居場所として、また保護者同士など地域のふれあいの場として機能し、たいへん喜ばれているとお聞きしました。

    ※(写真)池袋本町公園では、プレーパークとしてたくさんのこどもたちが支援員の方々が見守るなかで、楽しく遊んでいます。