待機児童問題は、ますます深刻になっている

    神戸市の待機児童数(2017年4月1日現在)が明らかになりました。
    前年・前々年度よりも数値が悪くなっています。
    いわゆる「待機児童数」で比較してみると、2015年度・13人、2016年度・59人、そして、2017年度は93人に。
    これは、「隠れ待機児童数」を差し引いた数です。
    ますます、深刻になってきていると言えます。
    不安な気持ちで今日のこどもの日を迎えている御家庭がかなり多いのではないか…。
    神戸市のホームページに、保育園などの施設数が出て言います。
    これを経年で比較してみると、保育所施設数は2015年度・182、2016年度・158、2017年度・129と著しく減少しています。
    その一方で、認定こども園の施設数は、2015年度・64、2016年度・97、2017年度・130と、急増しています。
    保育園は児童福祉法第24条1項で、市町村に実施責任があると規定されています。
    しかし認定こども園には、その定めがありません。
    最近、「わんずまざー保育園」「夢工房」と、兵庫県下の認定こども園で大問題が発生しています。神戸市は今年度、「保育の受け入れを枠を約1200人分拡大する」としていますが、それならば認可保育園こそ、大幅に増設するべきです。

「人間の翼~最後のキャッチボール」を借りて視聴しました

「人間の翼」(岡本明久監督・1996年作品)という作品のDVDを借りて視聴しました。
石丸進一さんという20代の青年が「神風特別攻撃隊」の犠牲になっていくストーリーです。
とても有名な作品で、漸く手にすることができました。
石丸さんは、戦時中のプロ野球選手(当時は職業野球選手と呼ばれていました)。
名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)のエースで、わずか3年の選手寿命でしたが、ノーヒットノーランを成し遂げたこともある好投手でした。
佐賀商業時代に、当時の川上哲治さん率いる熊本工業と対戦して勝利したシーンが映画の初めに出ていました(映画には出てませんが、当時の熊本工業には戦死した元巨人軍の吉原正喜捕手もいたということになります)。
実家の家計を助けるべく学生野球への道を選ばずに、大学夜間部に籍を置きながら職業野球選手として身をたてます。しかし戦況が悪化を極め、学徒出陣を命じられます。恋人のお父さんから「この戦争は、そう長くは続かないと思う。決して死に急いではいけない」 と、アドバイスされます。
当時としては、たいへん勇気のあるアドバイスではなかったか。
婚約期間も束の間、妻は空襲の犠牲になり、その訃報の知らせを戦地で知らされます。
野球生活を中断させられ、恋愛も戦争によって引き裂かれてしまいます。
戦況が悪化し、特攻隊員として志願した石丸さんが出陣し、アメリカの軍艦に激突しにいくことに。「おいは、野球じゃー!」吐き捨てるように言い残した有名な言葉です。
もし戦争がなかったら、どれだけ活躍していたことか。
また、幸せな家庭を築き、優しい人柄で親にも兄弟にも孝行していたことだろう…。
石丸進一さんについては、靖国神社の「遊就館」でも功績をたたえて、遺影を展示しています。
しかし、戦争は人間から自由も夢も希望も奪い取り、命を鉄の固まりの一部のであるかのように軽く扱うという事実を消去してはいけません。

憲法施行70年

    「安倍政権に欠けているのは、歴代内閣が営々と積み重ねてきた施政に対する謙虚さであり、さらに言えば、憲法そのものへの敬意ではないか。」─今日は憲法記念日。
    今日の朝日新聞が一面トップに掲載した社説が心に残りました。
    「国民主権、人権尊重、平和主義という現憲法の基本原理が役割を果たしたからこそ、日本は平和と繁栄を達成できた。ともかくも自由な社会を築いてきた。その歴史に対する自負を失うべきではない。」
    立憲政治を破壊する安部政権の暴走ぶりへの警鐘は至るところで聴こえてきます。
    「朝日」は日本国憲法起草のもとになったGHQ(連合国軍総司令部)草案の受け入れをめぐり、当時の幣原喜重郎首相が昭和天皇と面談した際の内容を示すメモを明らかにしています。
    憲法学者・宮沢俊義東大教授が当時、二人のやりとりを記録したもの。
    「それから、陛下にお示しして、憲法草案(先方から示されたもの)を目にするわけだ。すると陛下は『これでいいじゃないか』と仰せられた。自らはその一言で、安心して、これで行くことに腹をきめた。」
    幣原総理の心情もわかるメモが写真で掲載されています(原文は続け字であり、私なりの解読なので、多少の誤読があるかもわかりませんが)。
    幣原首相は、ヒロシマ・ナガサキという事実を前にして、戦争をしてはいけないことを主張しましたが、べつに民主勢力の側に立つ政治家ではなく、むしろ、天皇制を守ることを強く主張した人でした。
    天皇制を守るためにはそれ以外に道はないという判断があったと(「日本の教育」堀尾輝久著・東京大学出版会)。
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    昨年の「しんぶん赤旗」に、戦争放棄をうたった憲法9条のアイデアは、幣原首相がGHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーに提案したを補強する新たな資料を、堀尾輝久先生が発見した記事を掲載しました(2016年8月19日付)。
    ″戦争をしない″ ″軍隊を持たない″ 現憲法は国民の宝。
    そして、決して外国から押しつけられたものではないということが益々、鮮明になってきたのではないかと、嬉しくなります。
    直近の世論調査で、「いまの憲法を変える必要はない」「戦後9条が果たしてきた役割は国民に浸透している」が多数をしめ、国民が憲法9条の歴史的役割を高く評価している実態が浮き彫りになっています。
    歴史の反動的巻き返しを図る政治勢力に未来はない。
    政治の流れは国民の側にあり!

神戸文化ホール(大ホール)で津川ともひささんが決意を表明

    7月に兵庫県知事選挙が行なわれます。昨日の神戸文化ホールでの「2000人集会」は大きく盛り上がりました。憲法が輝く兵庫県政をつくる会代表幹事の津川ともひささんの決意表明の模様を動画にしてみました。
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    ①大ホール入り口から、若いサポーターの人たちといっしょに舞台へ上がるシーンです。

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    ②光の関係で、姿が見えにくくなっていますが、とても力強い演説内容です!!

性的マイノリティの人たちの人権の保障を

社会的に少数の立場に置かれている人たちが肩身の狭い思いで生活せざるを得なかったり、また差別や偏見によって、「ありのままの自分」を肯定できないとすれば、その社会は健全であるとはいえないと思います。
性的マイノリティ(LGBT)は、性意識や性行動に関わる事柄です。
また、当事者の方が明らかにしなければ、事態が表面化しません。
最近では、この問題を取り上げるニュースや書籍も増え、国や全国の自治体レベルでの取り組みも始まり、広がりつつあります。
いま性的マイノリティの人たちの人権を守り、社会的地位の向上をはかることが強く求められています。
先日行われた宝塚市長選挙では、中川智子市長が3選されました。
私が注目しているのは、同市の性的マイノリティへの取り組みです。
同市では、電話相談の開設や継続的な講演会の開催、保育・教育現場向けのリーフレットやDVDの発行、私立学校へのはたらきかけ、さらに同姓パートナーを尊重する仕組みづくりに努めています。性的マイノリティの人たちに寄り添うまちづくりの取り組みを次々に進めているようです。
神戸市も第4次男女共同参画基本計画で、「性的マイノリティへの理解・配慮も含めた人権尊重に関する教育・啓発の取り組みを進めていく」としています。
人権問題の一つとして、保健福祉局・教育委員会、市民参画推進局が理解の促進に取り組んでいるとしています。
先日の予算特別委員会でも指摘しましたが、市民の目に見える形での活動はとても弱いのではないかと思います。

かつて西宮球場があった西宮北口に行ってみました


    阪急西宮ガーデンズには、かつてのブレーブスと、その本拠地・「阪急西宮球場」の跡が一部残されています。
    こどものころ、阪急の試合をよく観に行きました。

    1番センター福本、2番レフト大熊、3番ファースト加藤秀、4番セカンドマルカーノ、5番ライトウイリアムス、6番指名打者高井、7番サード森本、8番キャッチャー中沢、9番ショート大橋、ピッチャー山田。
    1975(昭和50)年の初の日本一から“阪急身売り”という信じられない事件、その後、オリックス・ブレーブスの時代まで、何度もナイター観戦をしました。
    タクシー運転手だった父がたまたま、当時の選手や監督や選手を球場や自宅まで送り届けた自慢話もよく聞きました。

    屋上に当時使われていたホームベースが埋め込まれていました。
    人気では阪神に圧倒され、強いのに、お客さんが入らないので、こどもながらに反発心を抱いていましたね。
    でも、球場のファンサービスはなかなか細やかでよかったな。
    それと、西宮北口駅を降りたら、球場までの道中にお店が並んでいて、試合のある日は、弁当の販売に「いらっしゃい、いらっしゃい」。
    同じ兵庫県内とは言え、足を運ぶ機会がパッタリとなくなりました。
    20数年ぶりにこの街に来たのですが、立派なビルが立ち並べど、結構駐車場もあるのだけれど、当時の活気にはとても及ばないな。